さっき、ふと思ったことがあったので書き込ませて頂きます。
カナダに来る前まで、日本なんて、と思ってましたが、こういう書き込みを目にする度に日本に対する愛国心みたいなものがどういうわけか生まれてくるものです。
そういう意味ではこういう書き込みをするトピ主さんを尊敬しますね。
さあ、オランダの後カナダでもこの問題は可決されていますね。一見何の関係もなさそうな国ですが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%BF%E3%83%AF
の歴史を読めば、理解は出来るかもしれません。これが慰安婦問題に関係するかどうかは不明です。が、今でもその繋がりは強固ですね。
日本とオランダのつながりは江戸時代の鎖国からですね。何故キリスト教を禁じた日本がキリスト教信者オランダと貿易を続けたのか?
それはオランダがキリスト教と貿易を切り離して交易できる国だったからです。日本の政府が完成されているのを見るにつけ、日本を植民地化するのは困難、と悟ったオランダは日本に対して隷属的な態度を取るようになります。
※あ!付け足しておきますが、キリスト教は豊臣秀吉時代に日本国民を奴隷化し出した為、豊臣秀吉が禁じ出し(それまではキリスト教に賛成でした)ました。
http://www.daishodai.ac.jp/~shimosan/slavery/japan.html
さあ、ここから先は私の今まで得た知識を述べたまでのものです。正確には間違っている部分も多々あるとは思いますが、そこは容赦願います。まあ、全てが事実ではない、ということを予め述べておきます。
徳川時代の鎖国から現在に至るまで私の頭の中では少なくとも日本とオランダは三度戦っています。
①一番目としては、17世紀台湾を植民地化したオランダを撃退した主力部隊は日本兵、確か日本の偉い武将が出向いた筈
(!!ネットで検索しても明記した資料が少なすぎて不明です。誰か知っていたらその戦争名・武将名記載願います!!)
→ここで一言!日露戦争が13世紀(チンギス・ハーン)以降有色人種が白色人種に勝った初の戦争と皆さんは教わっているかもしれませんが、Wikipediaの中では確か2番目です。
1番目はWikipediaの中では
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AF%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
ですが、台湾の事実を踏まえると日露戦争は正確には3番目かな、と個人的には思っています。
そして、”日露戦争”これは日本が世界に誇れる素晴らしい文化、だと思います。
当時どうしても冬になっても凍らない港が欲しかったロシアはアジアに目を向け、南下してきました(その前に欧州の南下は締め出されていた為)。そして、日本と戦いました。
日露戦争後植民地支配下にあった有色人種の独立心に火を付け、北アメリカでは黒人が人権を求めて立ち上がった一つの起因と考えられています。とまあ、美談になっているわけですが、日本人としてここで忘れてはいけないことが一つ、そう、日本は何故この時点でロシアと戦ったのか?と言うことです。領土争いだろ!確かにそうですが、正確には違います。正確には日本がロシアに植民地化されるのを防ぐために始めた戦争です。シベリア鉄道が完成された後では、最早手遅れ、この機を逃したらゆくゆくは・・・、そう思って始めた戦争なんですね。まあそこいら辺は、各々の祖父母に聞いてみて下さい。話の切れ端くらいは残っている、筈です。この本心を言わない日本の精神が美徳なのかどうかは分かりませんが。また、日露戦争を語る上で忘れてはならない人物は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%95
ですね。参考までに日露戦争
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9C%B2%E6%88%A6%E4%BA%89
②二番目としては、第二次世界大戦中日本に宣戦布告を突きつけて、日本の倍の兵力を構えてインドネシアで迎え撃ったにも関わらず僅か8日足らずで逃げ出してしまったのですね。
ていうか、逃げ出したオランダ側にも従軍慰安婦の問題があるとは個人的に思います。確かに日本側も責任があるかもしれませんが、あとであーだこーだ言うならどうして最後まで日本と戦わなかった、とも思う。もしかしたら勝ったかもしれないじゃん。
まだ、日本兵対フィリピン・アメリカ兵で最後まで戦ったフィリピン・アメリカ兵の方が素晴らしいか、と。
インドネシアを植民地化すると共にインドネシア人に高度な軍事訓練を施します。
③三番目としては、日本が敗戦を迎えると同時に、始めにイギリスがインドネシアに5万の兵隊を投入し、再植民地化しようとしますが、撤退します。そして、次にオランダが15万の兵隊を投入します。この時インドネシア独立の為に日本軍を脱走した約2000名の元日本兵が戦っています。機会があったら”ムルデカ 17805 ”の映画を見ることをお勧めします。 映画とは無関係ですが、YouTubeでも”インドネシア 日本”と検索すれば、そこいら辺は出てくる筈。そして、4年と?ヶ月後独立を勝ち取ります。これも日本の勝利と言えば勝利か、と。その時独立を認める代わりにオランダから60億ドル(当時のお金で1$≒360円だから1兆円越えてますね)その他諸々の条件を飲まされている筈。
また、その時インドネシアが日本から軍事訓練を受けなければ、スリナム共和国と同じ運命を辿っていたかもしれません。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog193.html
インドネシアは石油資源を持っていたので、苛斂誅求オランダ国から独立するのはスリナム共和国よりももっと独立は困難だったかもしれません。
・・・と、日本も第二次大戦中インドネシアに悪さをした為、戦後8億ドル(私の知っている限り)の賠償金を支払っています。その時インドネシア政府としては”これを賠償金として頂くのは申し訳ないので独立記念費(だったかな?)として頂く、そう日本は3.5年の植民地の代償として8億ドル支払ってくれました。では350年インドネシアに居座ったオランダは最低でも100倍の800億ドルを支払う必要はありますね”と言ったそうです。
とまあ、色々と書きましたが、第二次世界大戦中の日本軍は「犬が去って豚が来た」(台湾)、「ワニが去って別のワニが来た」(インドネシア)と揶揄されているのも忘れてはいけないところですね。
本当はこの謝罪はもうする必要はないのですが、確か第二次世界大戦後何かの会議で解決済みになっているはず。ただ、オランダは見ての通り小国な為、外交上手、個人的に推測するに、先ず初めにアメリカがこの問題を可決しなければ、多分オランダもこの問題を取り上げなかった筈、かなと。カナダは単にオランダに同情しただけ?要はオランダは単なる負け犬の遠吠え、かと。相手にする必要はないかな、と。
http://jp.youtube.com/watch?v=MiuORbaq52U
http://jp.youtube.com/watch?v=wDUAql92ExA
の画像後、疑問なのがどうして蘭・加大使館の後にアメリカ大使館に行かなかったのかと、少し疑問なところです。単なる○幸さんの票稼ぎ?のため?
※というかオランダ人は自分の身長が変わるくらいまで栄養を取ったそうですが、それも全ては植民地のお陰。それだけ搾取するって・・・。
また、③の続き として、
第二次世界大戦中ドイツは世界最高の科学技術を持っていました。イギリスも認めるほどに。そして、敗戦と同時にその科学者達はアメリカ合衆国、ソビエト連邦に連れて行かれます。そして日本兵もシベリアに連れて行かれました。当時アメリカ合衆国は科学技術がイギリス・ドイツより5年ほど遅れていました。
その証拠として、当時の核爆弾の中枢技術はドイツ・イギリスによって完成されました(当時のアメリカ合衆国の技術では中枢部分を作れなかった、その核爆弾をアメリカ合衆国・ネバダ州で試した後、広島・長崎に投下です)。
その後ドイツの技術を元にして、その後の両国の軍事大国を築きます。日本の科学技術が投入されているかどうかは知りません。
ちなみにソビエト連邦に連れて行かれたドイツ・日本の科学者達はその後2度とソビエト連邦を出ることはありませんでした。”日本兵帰国してるじゃん”と言う方もいらっしゃるかもしれませんが、それは”ただの”兵隊だからです。科学者は今現在も自国(ドイツ・日本)に帰国していません。
また、ソビエト連邦は北方領土を皮切りに北海道を攻める、というところまで教わっている方もいるかもしれませんが、正確にはソビエト連邦は日本全土を支配しようとしました。天皇を処刑するつもりでもあったらしいです。まあ、そこでアメリカ合衆国が北方領土までで止めてくれたのを感謝するべきですね。
ちなみに北方領土は密約で交わされています。
http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20050120A/index2.htm
この事実を日本国民に伝えない日本政府。これも日本の美徳?
とまあ、なんだかんだ書きましたが、日本・オランダの関係も複雑・・・ですね。
http://whisper.co.jp/jive/jive054.htm