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by 無回答
from 無回答
2024-01-12 05:07:46 CA
>近世以前の軍隊と娼婦
軍隊と売春婦の関係は古く、ジョージ・ヒックスは、ローマ帝国では、ローマの守備隊や遠征軍に女性捕虜(奴隷)を供給し、セックス・サービスを提供させると共に、看護、洗濯、料理などの仕事に従事させたと述べている。
近世までの軍隊は、女子供を含む民間人を伴って移動した。まだ軍隊は自己完結型の組織ではなく、軍隊の需要を満たす為に商人や職人がおり、女は洗濯婦やお針子として働いた。こうした人々をキャンプ・フォロワーという。キャンプ・フォロワーは、19世紀の南北戦争やナポレオン戦争でも見られた。
キャンプ・フォロワーの語は、しばしば売春婦の同義語として用いられるが、これは正確ではない。しかし、キャンプ・フォロワーの中には兵士相手に売春する女性もおり、十字軍の遠征にも売春婦が同行していた。
中世のエチオピア皇帝の軍隊には、非軍人を含めた数十万の人々が従軍したが、その中には本職の売春婦が含まれていたと言われる。ポルトガルの司祭によれば、ダウィト2世(英語版)の軍隊には、現地語で「踊り子」と呼ばれる売春婦のテントが存在した:159。
16世紀にスペイン軍がオランダ侵攻した際には、1200人の売春婦が随行したとされ、ドイツで1598年に刊行された軍事教科書では随行売春婦の役割について論じられている。
朝鮮の妓生は、国境守備将兵の慰安婦としても活用され、李氏朝鮮時代、国境の六ヶ所の「鎮」や、女真族が出没する白頭山付近の「邑」に派遣された。
日本にも古くから御陣女郎がおり[8]:91、女性史研究家のもろさわようこは、『平家物語』や『源平盛衰記』に、軍陣に押し寄せる遊女のことが描かれていると指摘している