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No.6471
坂本龍馬について語るレス
by 海援隊 from バンクーバー 2005/01/30 14:35:41

坂本龍馬について熱く語りましょう。

Res.1 by 海援隊 from バンクーバー 2005/01/30 14:44:55

自分は、歴史に詳しくないのですが、坂本龍馬が大好きです。
やはり、最大の謎と言えば、暗殺事件ですよね。誰が犯人なのか?不可解な証拠品?いろんな人物の証言?憶測なんかが入り混じっていろんな説が出ています。
自分としては、新撰組でもなく、見廻組の仕業でもなく、薩摩藩の仕業じゃないかなと思っています。
未だに真実は明かされていませんが、歴史の面白いところでもありますよね。
皆さんの意見をお待ちしています。  
Res.2 by 陸援隊 from バンクーバー 2005/01/30 18:38:24

最近読んだ、ある本の筆者の私見だが。

昭和40年代初めまでは、「清水次郎長」ものが「忠臣蔵」と並んで、邦画上映のトップだったらしい。多い時は年8〜9本も上映されたとか。

それが、40年代から陰りが見え始め、最近の若い人になると、次郎長も大政も石松もぜ〜んぜん知らない、という程になるまでも人気が衰退した。

このタ−ニングポイントになったのが、司馬遼の「竜馬が行く」の連載開始なのだ..というのが、その人の説です。

つまり、同じ幕末期を舞台に、片や縄張り争いに駆けずりまわるヤクザの世界で...片や外圧を跳ね除ける為、命を掛けて東奔西走する志士の世界で...それぞれ活躍する訳ですが、切った張ったの胸のすく啖呵を見てスカッとしていたのが、「竜馬を読んで目から鱗が落ちた」と云うんですな。

まあ、今だに新撰組なんぞを大河ドラマにするくらいなので、日本人全部が目から鱗が落ちたとは思いませんが、司馬遼「竜馬が行く」の功績には全面同意します。
かくいう私も「目から鱗..」組の一人です。もちろん、竜馬大好きです。中岡もね。

あ、それから武田鉄也と小山ゆうの漫画も、若い人に広めたという功績があるでしょうね。  
Res.3 by いぞう from バンクーバー 2005/01/30 19:04:57

おす!自分も坂本竜馬すきであります、カナダに竜馬がゆくBY司馬遼太郎 全10巻もってきたであります!  
Res.4 by 海援隊 from バンクーバー 2005/01/30 20:15:42

>res2さんへ
レス頂き、ありがとうございます。
なかなか説得力ありました。
自分も、中岡慎太郎も好きですよ。何かの本で読みましたが、龍馬暗殺の時に中岡慎太郎は、偶然居合わせたようですね。彼にしたら、不運だったのかもしれませんね。彼が龍馬の遺志を継いでいたら、どうなっていたんでしょうね。
>res3さんへ
ま、まじですか。「竜馬がゆく」是非読みたいです。
自分は、高知出身ではありませんが、仕事の関係で高知でお世話になった時に、桂浜での龍馬像を見てすごく感動し、それから好きになりました。

これからも龍馬ファンとして、よろしくです。  
Res.5 by おっさん from バンクーバー 2005/01/30 22:10:44

下手な歴史の勉強するよりも「竜馬がゆく」を全巻読んだほうが幕末がわかりやすい!! 
 竜馬も好きだが西郷隆盛もおもしろそうです。 本当にどんな顔をしていたのか、だれか写真でももっていないのか!  
Res.6 by 陸援隊 from バンクーバー 2005/01/30 23:02:14

私も西郷は好きです。
(翔ぶが如く、を読むと当然好きになりますよね)
しかし、竜馬を殺ったのが西郷ではないかと言う説に、そうであっても不思議でないとも思ってます。
 
Res.7 by いぞう from バンクーバー 2005/01/30 23:02:44

俺も西郷さんの顔に興味あります、歴史の教科書とかの西郷さんは実物じゃなくて、親戚や兄弟の顔を基本に書かれたそうです、だから本当の西郷さんはどんな顔だか興味あります!!あと自分は人斬りイゾウも好きであります、あ〜司馬遼太郎の人きりイゾウも持ってくればよかった、、、、誰か持ってたら貸していただきたい(切実)  
Res.8 by 無回答 from 無回答 2005/01/30 23:08:22

 竜馬は、明治維新以降、まったくと言っていいほど、一般の人々の中では、忘れ去られた存在でした。その事に怒りを覚えていた明治天皇の側近であった元土佐藩士が、日清戦争の最中、竜馬が天皇の夢にでてきて、日本を勝たせるといったという作り話を新聞社に報告し、それから、坂本竜馬は歴史の表舞台にでてくるようになったとか。
 たしかに、彼の作った船中八策が、大政奉還の元になったし、その後の日本政府の柱にもなったんだし。
 ちなみに、竜馬を暗殺した人物は、水戸藩士で、明治に入り、彼は病で長くない事を知り、地元の新聞社に、自分が竜馬を切った事を告白しました。
   
Res.9 by 無回答 from 無回答 2005/01/31 04:04:55

Res.10 by 海援隊 from バンクーバー 2005/02/01 01:25:40

>res8さんへ
新たにレス頂き、ありがとうございます。
この話は何かの本で読んだ記憶があります。自分も何気なく納得したような気がします。
ところで、水戸藩士で自白した人の名前を知りたいですね。今のところ、その件については初めて聞いたので、驚いています。

>res9さんへ
高橋幸二さんのレスには以前から非常に興味があって、もちろん読んだことがありますが、ハッキリ言ってどうかなって感じですね。
今まで、いろんな歴史を勉強されている方なので、信憑性はありますね。参考になりました。

他に何か、情報がございましたらよろしくお願いします。  
Res.11 by RES8 from 無回答 2005/02/01 01:54:34

http://page.freett.com/sukechika/ishin/sabaku/set04-02.html
ここに載っている今井信郎ですね。まあ、歴史と言うのは、すべてがすべて正しいとは言えませんが。。。
高橋のにしたって、薩摩側からの意見?になりますしね。韓国で(日本でも)、ちゃんと歴史が教えられていない事と同じですね。
武田鉄也の「RONIN」という映画、最高でしたね。日本に帰ったら、ビデオがあるんだけどな〜・・・。  
Res.12 by 無回答 from バンクーバー 2005/02/03 13:00:26

龍馬と竜馬。どっちが正しい?素朴な疑問。  
Res.13 by 無回答 from バンクーバー 2005/02/04 18:00:26

大久保が命じて、今井が龍馬をやったと聞きます、しかも今井は2年(普通死刑)で釈放されたのです。なお今井の調書には見張り番で何も分からないと書いてある。龍馬は西郷、大久保の計画(徳川暗殺)には賛成せず、徳川を殺さずに倒幕という観念をもっていたとので、暗殺されたと聞きました。  
Res.14 by おやじ from ハリファックス 2005/02/04 19:13:23

おやじも龍馬のファンであります。

19歳の坂本龍馬は「攘夷」からはじまりました。はじめは異国人の首を打ち取るとかいってました。
そして、江戸に修行に行きました。
父上に「色情にうつり国家之大事わすれ心得違いあるまじき事」って修行中の心得を頂いて、、、、。

19歳で「国家之大事」だよ、本当にえらいもんだよ。
それから、14年の残りの生涯をまさしく駆け抜けた、志半ばで倒れたけど、国家の大時は成したよね。  
Res.15 by 陸奥 陽之助 from バンクーバー 2005/02/07 13:23:49

Res8さん、「Ronin」僕も小学校時代に映画館に見に行きました。パンフレットも家にまだ残ってます。良く考えると武田 鉄矢さんは「お〜い 竜馬」を小山先生と合作される前に作っていたんですね。時代背景は今見ると「ん?」と思う所もあるとは思いますが。高杉 晋作役の吉田 卓郎さんが当時のヘアスタイルのアフロのまま出演していたのがとても印象的でした。竜馬論に私も一筆。竜馬暗殺はいくつもの仮説が立てられていて幕府説(見廻組、新撰組)、新政府説(薩摩)等がよく知られた所です。近藤 勇は流山で処刑される時の罪名の中に竜馬暗殺の擬が掛けられており、その前の暗殺直後にも元海援隊隊士による新撰組の一部の人間に報復する事件やそのあたりから新撰組を離れた伊東 甲子太郎が暗殺前の竜馬達(中岡含む)に警戒を呼びかけてる事からも推測される事もあり新撰組説もあるとされています。明治に入り、元見廻組の誰かが佐々木只○○?(之助?新撰組産みの親、清河 八郎も一の橋でこの男に暗殺されたとされてる人です、すいません、忘れました)等と結託し十津川郷士を装い近江屋を訪れ暗殺したと告白したとされる事例もあり、これもかなり信憑性が高いと思われます。どなたかが前述の薩摩説も有力です。が、私は無残にも切られた中岡が3日間生き延びその間に供述したとされる文献をみるととどめを刺そうとした刺客の一人に対し誰かが「もうよい、もうよい。」と言ったそうです。薩摩の人間だとしたら生死がかかるこのやりとりで方言を使わず標準語に近い言葉で喋る事、または方言を偽る事が出来たのでしょうか?確かに大政奉還、無血開城、新政府の副関白に慶喜をと画策する竜馬側と武力で叩き潰そうとする薩長側との意見の行き違いはあるにせよ西郷が直接指示をしたとは思えません。しかし、大久保 一蔵(利通)と岩倉 具視にあまり好かれていなかったとされる竜馬は暗殺の対象になったかも知れません。実際に岩倉が暗殺後、中岡に対しては追悼の意を述べたにも関わらず竜馬には一言も触れていないのがうさんくさいところの一つでありますが。中岡は勤王党を抜け脱藩し、長州に潜伏中は都落ちした三条卿や公卿らの世話をしており同じ公卿である岩倉に好かれていたとは思いますが。色々調べてみるとどの説も怪しく且つ曖昧で謎に包まれている所も竜馬に対する神秘性が高い所以なのかもしれません。皆さんはどうお感じでしょうか?  
Res.16 by 海援隊 from バンクーバー 2005/02/08 10:53:51

みなさん、いろんなご意見、本当にありがとうございます。
知れば知るほど、ますます興味が湧いてきました。
ここで1つ、面白いものを見つけましたので、ご紹介いたします。
http://www.geocities.jp/ryoma21jp/newpage30.htm
前編、後編があるのでお楽しみに。  
Res.17 by 陸援隊 from 無回答 2005/02/09 00:47:54

トピ主さん、下のサイト、面白かったです。

前編、後編とそれぞれの説を、肯定する立場からと否定する立場からとに分けているところがニクいですね。

このサイト主が参考にしている文献、私もほとんど読みましたが、状況的にはやはり西郷がくさいようですね。

定説・今井や新撰組が(竜馬殺害を)自慢・公表出来る立場にありながら、それを何故しなかったかという、(彼等による暗殺の)否定論への再反論などを論証した、続・後編が待たれます。  
Res.18 by 陸援隊 from 無回答 2005/02/09 01:13:38

陸奥陽之助さんが書いておられる、もし薩摩だとしたら大久保あたりではないかというのには、無理のない推理として同意出来ますが....

しかし、私はこれだけの謎・ミステリ−の黒幕に相応しい人物としては、大久保・岩倉では陳腐すぎるのではないかと思います。というか、私が個人的にそうあって欲しいという考えです。
やはり、西郷か。
私って、かなりネジれた西郷ファンですね。

 
Res.19 by 海援隊 from バンクーバー 2005/02/09 23:35:56

陸援隊さんへ
そうですね。この続編が気になりますね。自分としても、薩摩藩が怪しいと思うんですけど、依然疑問が残りますよね。
歴史とは、例え真実があっても、捻じ曲げられるんでしょうかね?もっとも興味があるところですけどね。

ところで、最近(かなり前?)、日本で放映されたドラマで、「新撰組」をご覧になった方はいませんでしょうか?近藤勇が主人公のドラマですが、皆さんどう感じられましたか?
自分としては、ちょっと納得がいかないような気がしますが、やはり一般的にこのような解釈で歴史として残っているんでしょうかね?少し疑問に思います。
これも、龍馬ファンだからでしょうかね?
皆さんのご意見をお待ちしております。  
Res.20 by 陸奥 陽之助 from バンクーバー 2005/02/11 18:46:26

「新撰組!」ではどういう描き方をしていたのでしょうか?見ていないので何とも言えないですが。ここの方々は薩摩論意見が多いんですね。竜馬が薩摩の援助で亀山社中を作った時しかり幕末時の薩摩で外交責任者としてその担当にあたったのは家老 小松 帯刀(龍馬歴史館ホームページ
http://www.baobab.or.jp/~ryoma/guide.html
場面17から抜粋
http://haruna.on.arena.ne.jp/diary/diary10-03.htm
http://www.bakusin.com/komatu.html)でありその下で西郷や大久保が動いており薩摩に多大な利益を与えた功労者の竜馬を小松を含む西郷、重鎮らが殺害を指示するとは考えられなかったんですね。小松は特に竜馬には日本で初めてとされる桜島への新婚旅行等ももうけており好意的であったと考えます。しかも大政奉還時、薩摩が掲げる武力討幕にはかなりのエネルギーが必要だったのではないでしょうか?当時の薩摩の状態を裏付ける文献があったので紹介します。
http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/theme8.htm
皆さんの意見をまた聞かせて下さい。  
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