さて、Hate CrimeについてですがCrimeと言うのにはわけがあって、カナダでは公共の場所で特定の人種への憎悪を助長するような行為は、文字通り犯罪となり刑法で罰せられるのです。 (Hate propaganda -- Criminal Code prohibiting wilful promotion of hatred against identifiable groups (s. 319(2))-抜粋)
代表的なケースにr. v. keegstra[1990] 3 S.C.R.と言うのがあります。 アルバータのkeegstra先生は自分の教える高校でユダヤ人の悪口を言ったら刑法に違反したということで捕まってしまったそうです。ところがこの先生、転んでもただでは起きない、「言論の自由はカナディアン・チャーター基本的人権の項で保障されている」と主張した。チャーターといえば、カナダの憲法の一部だから、もし彼の言い分が通ればそれに矛盾する刑法は無効ということになる。焦点となったのが憲法1条の言葉、“The Canadian Charter of Rights and Freedoms guarantees the rights and freedoms set out in it subject only to such reasonable limits prescribed by law as can be demonstrably justified in a free and democratic society.”
ではどうやってこのパラドックスを解決するのかと言うと、Res122さんのリンクした条文の場合は、国際的な舞台なので国際裁判所の裁判官が判例に基にして判断を下すのでしょう。 カナダの憲法も同様です。一方では言論、思想、表現の自由を保証しておきながら、やはり人種で差別してはいけない、書かれています。だから通常、こういう問題は裁判所は判決の中でガイドラインを作ります。カナダではR. v. Oakes [1986] 1 S.C.R.の判決のなかでかなり明確な判断基準を採用しました。まず、原則として言論、思想、表現の自由は憲法で保障されています。しかし、ある特定の条件を満たした場合はそれを覆すことも可能だとしています。その条件とは第一に, ”the objective to be served by the measures limiting a Charter right must be sufficiently important to warrant overriding a constitutionally protected right or freedom. The standard must be high to ensure that trivial objectives or those discordant with the principles of a free and democratic society do not gain protection. At a minimum, an objective must relate to societal concerns which are pressing and substantial in a free and democratic society before it can be characterized as sufficiently important.”とあります。
自分の恋人に対して「好き」って言うのはsocietal concernsでpressing and substantialな問題ではありませんね。もうこの時点で差別ではないと判断されます。もし問題がこの第一段階でsocietal concernsでpressing and substantialと判断された場合、第二段階に行きます。 ”the party invoking s. 1 must show the means to be reasonable and demonstrably justified. This involves a form of proportionality test involving three important components. To begin, the measures must be fair and not arbitrary, carefully designed to achieve the objective in question and rationally connected to that objective. In addition, the means should impair the right in question as little as possible. Lastly, there must be a proportionality between the effects of the limiting measure and the objective…”といったように包括的に判断されます。だからすべてケース・バイ・ケースで『あ、条文に「区別」はだめって書いてある。そう定義されているんだからしょうがないじゃん。あーみんな頭悪すぎ。』と簡単にはいかないものなのです。
しかし、自分が被った差別を裁判所に訴えるならともかく、通常個人レベルでは、この問題はsocietal concernsでpressing and substantialだから...なんて考えるやつなんかいないですよね。つまるところは、個人個人のバランス感覚、センスによって判断するしかないのではないでしょうか。