ペンギンさんはときどき日本語を間違えたり、議論が難しくなると英語に変わることがよくあった。 * * * * * 私がカナダで初めて暮らしたのは、Main St.のシェアハウスだった。そこには私のほかに2人の日本人と、オランダからの移民の兄弟がいた。家に帰るバスは、中国人とインド人でいっぱいだった。私が抱いていたカナダのイメージとは、ずいぶん異なっていた。 まだ空き部屋があったので入居者を募集していたが、訪れる日本人は家を見るのではなく、オランダ人2人の英語力を見に来る人が多かった。「ネイティブの白人」と暮らして英語がうまくなりたい彼(彼女)らは、2人が移民だと知ると手の平を返すのだった。 ある夜、オランダ人の兄が暖炉の前にたたずみ、燃えさかる炎をみつめていた。彼は私に言った。 “I hate fucking English. But I have to speak English to survive....” 幼いころ親に連れられてカナダに来た彼は、当初英語が全くわからず、学校でからかわれていたのだ。 私のカナダ生活は、まだ始まったばかりだった。