***長文です***
Res. 7 の無回答さん、「だれか添削してください」とのことですので、私なりに試みてみました。 「それは、違う」とか「私はこう思う」とか、皆さんのご意見もお待ちしております。
日本人はなぜアメリカ文化を崇拝するのか
この問いに答える為には近代の日本の歴史を少々掘り下げる必要があるかと思います。
江戸時代は『藩』という地方分権が強力だった時代です、それに対して明治維新では欧米列強に対抗する為に『日本という国』としての強力なまとまりが必要でした。(この件については、No.1008 「総括、日本人&韓国人論」にて、かーるおじさんが非常に簡潔に解り易く解説されています)
https://www.jpcanada.com/asp/bbs.asp?bbs=006&msgid=1008&fukushu=1この明治維新で時のリーダー達は国民の総力を結集する為に『天皇』を神として崇めるように国民を仕向けました。 第二次大戦後、占領軍の責任者となったマッカーサーは日本の統治について色々と検討しましたが、この『神としての天皇崇拝』を止めさせ、それを別のものに仕向けたのです。
それが、『アメリカ文化』だった訳です。(マッカーサーは米国次期大統領の地位を狙っていましたから、公式には『日本という独裁体制の国に民主主義を定着させ、日本の国民を解放する』ということになっていたそうですが、庶民の目から見れば『アメリカ文化』ということになるのでしょう)
実際にデパートの展示場には『文化住宅(米国風の住宅)』なるものが陳列され、人々の憧れにもなったそうです(実際にこの『文化住宅』と呼ばれる形式の家は昭和30年前後にたくさん立てられ、今でもその家屋はわずかながら見掛けることが出来ると思います)。 電髪(パーマネント・ウェーブ)やロカビリー(50年代のロックンロール)、もちろん大きくて立派な米国製自動車なども含まれます。 戦争中は食べるものさえ困るほどの生活をしていた当時の日本人には、間違いなく輝いて見えたことでしょう。
つまり、戦前も戦後も崇拝する対象が替わっただけで、何かを崇拝するという態度自体は何ら変わっておらず、そう言う意味では日本人の精神構造も何ら変化していなかった訳です。
これは日本人が特に劣っているということではなく、共産主義が崩壊し十数年を経た今でもマトモな市場経済が機能しないロシア社会が実証している通り、人間はそう簡単には物の考え方を変えられないということだと思います。
従って、日本人がアメリカ文化を崇拝する理由は、八百万(やおよろず)の神が居る日本ですから、布袋様が大黒様に取って代わったようなものなのだと考えられます。 (よって、『天皇』ときいただけで、「ヤバイ」などと思うのは、この例で言えば新しい神様である大黒様の時代に、古い神様である布袋様と聞いて、「ヤバイ」と思っているだけで、その考え方は100年前のものと何ら変わりないということになります。)
また、『米国は日本に2個も核爆弾を落としたのに』という件については、事象を内面化するかしないかと言う違いに起因する問題だと思います。
具体的に説明する為には、広島の平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑には、『安らかに眠って下さい、過ちは繰返しませぬから』と刻まれていることを考えてみると良いと思います。
この文には主語がありません。 日本語では主語を省くことは珍しいことではありませんが、この慰霊碑の文の主語は敢えて省かれているのだと思います。 核爆弾と投下した米国に、その責を求めるなら、この慰霊碑を作ったのは日本人ですから、『繰り返させませぬから』としなければならないでしょう。
つまり、この慰霊碑の文の主語は日本人全体、或いは人類全体だと思うのです。 『何がどうであれ、どんな諍いや戦争があろうとも、もうこんな悲惨なことは発生させない』という決意なのだと思います。
『××国が悪い。 奴らがこんな酷いことをした』と自分(達)以外の人間(或いは国家)のせいにしていては、過去に発生した事件や事象を自分の経験として将来に生かすことは出来ません。 原因はともかく、経験をしっかり自分のモノにするという行為が内面化ということなのです。
良識ある韓国人に以上のような説明をすれば、彼らにとってはかなり耳が痛い話しだと思います。 しかし、これは紛れも無い日本人の真実だと思います。 説明を求められた場合には感情は込めずに淡々と語るべきではないかと思います。