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No.1328
日本の法律について、誰か教えてください。
by 無知 from 無回答 2003/03/16 17:34:53

突然ですが、誰か教えてください。こんな事を知らない日本人がいることをお許しください。あーー、もっといろんな事学生のときに勉強しておくべきだった。。。(恥)

日本の憲法?法律って、アメリカ人によって決められたんですか?第2次世界大戦のあと、`constitution was written by American’だって、カナダ人の友に言われたんですけど、私の思う限りでは(昔の事はしらないが)今の法律がアメリカ人によって決められたものではないと思う、というか、思いたい。きっとこんな事を知らないって、言うのも恥ずかしい事なのかもしれないけど、ネットで今調べ中ですが、どなたか教えてください。

Res.1 by tomorrow is the day from バンクーバー 2003/03/16 18:05:12

日本は第二次世界大戦で負けて以来、戦争ができなくなり、アメリカの犬のようになってしまいました。国民は一生懸命働き、そのお金はアメリカの軍事資金などにつかわれてます。マッカーサーって知ってますか?まさにあの人との間に交わされた調印をしてから日本人の国民性が大幅に変ってしまったんですね。でも、もし日本人の中にに頭の良い人がいなければ、いまごろ私達は貧しい生活をしていると思います。これは良かったのやら悪かったのやら考えると難しいところです。もちろん戦争ができないイコール、アメリカに頼るしかないですね。でもこれってヤクザがやってることのように思います。カナダにいる日本人の方はどう思いますか?それと私は天皇制を廃止し、国民にもっと自覚を持ってもらい、世界に対しもっと積極性をもち、新しい社会を作ってもらいたいと思います。  
Res.2 by 無回答 from 無回答 2003/03/16 18:10:09

100%アメリカが作ったかどうかは知りませんが、
戦勝国アメリカの意思が多分に入ってる事には間違い無いでしょう。
無知さんの友人が言われた事は間違いではないですね。
 
Res.3 by 少し年寄り from バンクーバー 2003/03/16 18:41:27

日本は戦争に負けたので、それまでの天皇主体の憲法から、国民主体のに変わりました。そのとき、勿論負けた国なのでアメリカ主導で新憲法が制定されたのは間違いではないでしょう。沢山のアメリカ人がかかわって協議したようですから。それで天皇は一応、歴史ある日本国の象徴ということに収まったのだと思います。
昔のドイツのように、日本も旧ソ連とアメリカの国が夫々半分に分断して所有することもなきにしも有らず、ということだったようですが、そればかりは実行されなかったので今の日本が存在しているのも事実と思います。学校ではそいうことは教えないから(政府は教えることをしたくないでしょう)知らない人は、外国人から指摘されることも有り、です。

法律は制定したり、改定したりはその国が決めることなので、何処までアメリカが水面下でかかわっているかは全く判りません。(結構、輸出入などの規制を緩和する法などアメリカ等の圧力で法改正されたりしているのを見ますが)

若い人は第2次大戦の時代に、直接生きていた人たちではないので興味もないでしょうが、身近な祖父母や両親から聞くなりして知識として知ることもよいのではないでしょうか。知らないのは恥ではないですから、自分が必要と思ったら、その時点から勉強下さい。戦後58年が過ぎ、自分が若い時には、こんな世になるとは想像もしなかったです。
 
Res.4 by 無知 from 無回答 2003/03/16 20:08:07

あっという間に3人もの方からコメントをいただき大変嬉しく思っています。ありがとうございました。

日本国憲法でネットでいくつかヒットしましたが、はっきりと誰が作った、といっているのが見当たりませんでしたが、皆さんのレスを読ませていただき、なんとなく分かりました。では、2月11日建国記念日というのが、その日本国憲法のできた日、ということですよね?(自信なし)その後、少しずつ国会で、協議されて内容が変わってきている、という理解でよいのでしょうか?

どうして自国の事なのに、いままで疑問に思わなかったのかが、不思議、という事が、カナダに来てから非常に多いです。日本にいると、そういう話題にもならず、考える機会のない事、カナダ人に突っ込まれると、知らない自分がとっても恥ずかしいです。

でも、少し年寄りさんもおっしゃってるように、いまからでも興味が湧いた事はどんどん知りたいと思います。

皆様本当にありがとうございました。
 
Res.5 by 少し年寄り from バンクーバー 2003/03/16 21:55:41

トピ主の方
もう少し社会科の勉強をおさらいしてくださいね。
建国記念日は憲法記念日と違いますよ。
建国記念日は神武天皇の昔にさかのぼる由来があるようですが、この休日は昔からあったのではないですよ。webを参考にしてください。http://www.ffortune.net/calen/kinenbi/02/kenkoku-kinen.htm

憲法記念日は戦後、新憲法が出来、発布された日、5月3日です。
 
Res.6 by 無回答 from バンクーバー 2003/03/16 22:03:45

少し長いですが、岩波、小林直樹の「憲法を読む」から引用紹介します。

...周知のように、憲法は占領下においてマッカサ−司令部から草案を“与えられ”、その強い指示によって制定にいたったもので、日本国民の自主的な発案と制定によったとはいえないからです。
(中略)
この基本方向をふまえておくならば、占領軍から草案を“押し付け”られる前に、国民に計って新憲法の制定に着手するのが政府の義務だった筈なのに、政府が用意したのは明治憲法とほとんど大差のないおよそ非民主的な草案(松本草案−引用者、無回答)でした。
(中略)
第二に(中略)少数ながら現憲法と変わりない草案を起草していた研究者グル−プがあり、その案がマ司令部案の作製の参考にされたことは、注目すべき点です。政府案がもし始めからこの線で出されていたなら、そもそも「押し付け」といわれる現象は生じえなかった筈です。

第三に、(中略)国民不在のまま銃剣の力で強要されたとは決していえない点が大事です。占領下ではあったけれども、自由な選挙によって選ばれた議員が論議をつくし、共産党員などの若干の人々を除く全員一致の決定をしたことをあわせてみれば、自主性が欠如していたというのは強弁だといわざるをえません。

と、小林直樹がいっていますが、国会で決議したものであっても、占領軍司令官(マッカ−サ−)に拒否されれば、従わざるを得なかった状況下であったの確かです。そして、例え、松本草案のような“非民主的な草案”であっても日本政府が提示した案が、絶対権力者によって拒絶され、現憲法の草案を呑まされたのは事実のようです。  
Res.7 by 少し年寄り from バンクーバー 2003/03/16 22:26:50

Res5で書き忘れました。
トピ主の方は憲法と法律を混同しているようですが、別のものですよ。

日本国憲法は現在、改正の議論があったりしますが、沢山ん議論の余地があるので、簡単にあすから改正しようということにはなりません。
特に戦争があちこちで起きているので、憲法で戦争放棄した日本としては参戦できないという意見があるからです。この憲法9条が戦争放棄をうたっています。

法律は憲法とは違うので、時と場合によっては、臨機応変に変わることが時々あります。  
Res.8 by ちょっとコピペ from バンクーバー 2003/03/16 23:26:15

 この憲法草案作りにたずさわった二十一人のアメリカ人起草グループの中には、一人の憲法学者も、日本専門家もいません。それどころか二十一人のうち、日本の大学で教鞭をとった経験のある二人の学者(といっても中国史と社会学がそれぞれ専門)と十五歳まで日本で育った婦人職員以外には、日本の、それも政治制度や伝統に、深い関心を抱いていたと思われる者は一人もいなかったのです。
 しかも担当分担の決定の仕方にも問題がありました。たとえば起草グループの責任者であったケーディス大佐は、天皇に関する規定を担当したプール海軍少尉に対して「君はたしか天皇(昭和天皇)と同じ日に生まれているね。君が、天皇と条約・授権規定に関する委員会の責任者だ」と命令したといいます。また人権に関する委員会に所属したゴードン女史は、上司のロウスト中佐から「あなたは女性だから女性の権利を書いたらどうですか」と言われて担当することになったというのです。
 このようなメンバーで、しかもわずか一週間ほどの突貫作業で作成した憲法草案ですから、日本の歴史や伝統を充分に取り入れることなど、できるわけがありません。そのようなものは全く無視して、ゴードン女史が都内の図書館から集めてきた十数冊の本の中にあったアメリカ憲法、ワイマール憲法、フランス憲法、ソ連憲法などを参照して作られたのでした  
Res.9 by 無回答 from バンクーバー 2003/03/17 00:25:47

少しトピずれですが、憲法もそうですが、食べ物についても言えますよね。昔はとても素晴らしい食事(野菜がメインと少しの魚)だったのに、肉を食べないと体が大きく育たないやら何やらと理由をつけ、食生活までアメリカよりになってきました。実はこれは良くないんですよ、日本人の体には。本当は問題なのです。

あの憲法のおかげで、それまで特に優れた薬として使用されていたマリファナも違法になりましたよね。

あの憲法以来、日本はアメリカの植民地に等しいんですよ。


 
Res.10 by 無回答 from バンクーバー 2003/03/17 00:52:50

「constitution was written by American」って言われれば、シンプルな答えはイエスですね、残念ながら。
(私もそうですが)戦争を知らない世代としては、戦争に負けたという事は知ってはいても、その後5〜6年もの長い間、絶対権力者としての占領軍司令部の管理下に置かれていたなんて、実感としてピンときませんよね。まして、その絶対権力が憲法まで押し付ける強いものだったとは。  
Res.11 by 高橋 幸二 from 京都市 2003/03/17 02:33:30

>Res.4
>建国記念日というのが、その日本国憲法のできた日
これは指摘の通り誤りです。しかし現在の国体、すなわち日本国憲法体制が成立した日を建国記念日とするのは、至当であるように思います。

>その後、少しずつ国会で、協議されて内容が変わってきている
現憲法は一字一句改正されたことはありません。

>Res.5
>憲法記念日は戦後、新憲法が出来、発布された日、5月3日です
憲法記念日は、新憲法が施行された日です。前触れなしにいきなり施行することはできず、当然国民も学者も憲法を研究する猶予が必要ですから、その6か月前に発布されました。それが11月3日、すなわち明治節(明治天皇誕生日)でした。
これには、祝日に発布すれば国民が新聞を読むだろうという意図のほかに、明治節を祝日として維持しようという目論見があったものと思われます。

その後昭和天皇誕生日も祝日として維持されましたが、大正天皇は無視されています。天皇としておそらく初めて側室を持たず、愛妻家で子煩悩なおやじの大正天皇は、行幸の際に突然庶民に話しかけたり、思ったことをストレートに口にして側近を困らせました。山縣有朋を嫌悪したため幼少期の脳膜炎を暴露され、精神薄弱の噂を立てられ、裕仁皇太子に摂政として取って変わられた彼こそ、大正デモクラシーの統治者として評価されるべきなのです。  
Res.12 by おやじ from ハリファックス 2003/03/17 14:22:56

昭和20年9月2日ミズリー号上で降伏文書に調印。CHO指令第一号(陸海軍解体)
同年10月4日憲法改正の指令を発す。
同年12月8日松本国務相、憲法改正4原則発表。
昭和21年3月6日政府、憲法改正草案要綱を発表。(マッカーサー元帥、全面承認を声明)
同年5月16日マ元帥、吉田茂に組閣命令。
同年6月8日枢密院、憲法改正案を可決。
同年6月20日憲法改正案、国会に提出。
同年8月24日衆議院、憲法改正案を修正可決。
同年10月6日貴族院、憲法改正案修正可決。翌7日衆議院憲法改正修正案を可決。同年同月29日枢密院、憲法改正案を可決。
同年11月3日日本国憲法公布。

占領直後から、GHQの指令により明治憲法の枠を大きく超えた自由主義・民主主義的改革が断行されてきたが、その基本となる憲法改正も急ピッチで進められた。新選挙法のもと新陣容となった衆議院で憲法改正案は審議が重ねられ、大日本帝国憲法の改正手続きに従って公布された、国民主権・基本的人権の確立(自由主義)・戦争放棄(平和主義)などを大きな柱とする現在の憲法です。
戦争放棄を規定した第9条が日本側からの発案になるのかGHQの一方的強制だったのかについては、今日でも定説はない。ただ、吉田内閣は国会において、自衛権の発動としての武力の行使も否定した。

おまけ
時の熱血漢、初代衆議院議長の松岡駒吉はマッカーサー元帥に「平和憲法ではあるが、日本が攻められたらどうなるのか。日本も防衛手段を持ちたい」と堂々と尋ねた、マッカーサー元帥は明確に「人間が作った憲法だから、気に入らないところがでてくれば修正してかまわない。米国憲法を見よ。アメリカ人は修正して、それが二十一条におよんでいる。」と答えた。まさかの返事に、松岡は感極まり、男泣きにないた。占領時のマッカーサー元帥付きバワーズ・田上両通訳官の証言。
平和憲法の改正を是認していたという未発表の貴重な証言だそうです。  
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