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バンクーバー 2004/03/08 13:03:46
いつも思うのですが、インターネットを使ってるのに、なんで皆その検索機能を使おうとしないんでしょう? Yahoo!なりで調べれますよ。
でも念のために(ちょっと面倒いので、読んでません、あしからず)
3月17日 聖パトリック司教(385/390-461頃)
ブリテン島西部に生まれた。若いころにアイルランドの海賊に捕えられ、奴隷として売られた。苦しみの中でパトリックがしたことは、祈ることであった。ある日彼は脱走し、多くの困難に遭いながら、故郷に着いた。そこで、彼は聖ジェルマノの弟子となって神学を学び、フランスのレラーンスの修道院で生活したのち司祭となった。435年ころからアイルランド宣教に派遣され、キリスト信徒のほとんどいない国で、人々を信仰に導いた。アルマーを中心として各地の教会の組織化に努め、修道院制度を推進した。444年ころ、アルマーを大司教区に定めて彼自身が司教に就任し、アイルランドのキリスト教化と文化の発展に貢献した。アイルランドのキリスト教化は、アメリカなどのカトリック教会の最初の土台となった。 彼の著書である『告白』と『書簡』を読むと、パトリックがいかに神に信頼をいだき、謙遜で信念をもった人物であったかがうかがえる。 パトリックについては多くの伝説があり、アイルランドからすべての蛇を追い出したとか、三つ葉のクローバーで三位一体を説明したという話が残っている。 彼は、アイルランドの守護の聖人で、国民から最も親しまれている。 3月17日はアイルランドにとって特別な日である。「聖パトリックの祝日(St. Patrick’s Day)」という一年に一度のお祭りなのだ。聖パトリックはアイルランドの守護聖人で、5世紀前半頃アイルランドにキリストの教えを伝えたといわれている。それ以前のアイルランドでは、ドルイドと呼ばれる僧が予言者、裁判官、妖術者として権力を握っていた。 言い伝えによると、聖パトリックは少年時代にウェールズからさらわれて、アイルランドで羊飼いとして働かされていた。やがて、アイルランドから逃げ出して聖職者となったのだが、布教のために再び海を渡ることを決意。アイルランドに到着した聖パトリックは、大王にキリスト教の教えを説いた。そのとき、三つ葉のクローバーの形をした「シャムロック」を使って、「三位 一体」を説明したという(シャムロックは現在アイルランドの国花)。幸いアイルランドの大王はキリスト教を快く受け入れ、各地に教会が建った。キリスト教はアイルランドの土着信仰と融合しながら、ゆるやかに、かつ着実に広まっていった。現在ではアイルランド共和国内の9割近くのアイルランド人がカトリック教を信仰している。聖パトリックはアイルランドに神の教えを広めた「偉大な聖人」なのだ。 さて、3月17日の目玉は「パレード」である。人々はアイルランドの色である「緑」やシャムロックを身につけて街に繰り出す。華やかなパレードを見に行くのだ。もっとも、「聖パトリックのパレード」を有名にしたのは、ニューヨークだった。アイルランド系アメリカ人が多く住むニューヨークで、移民たちが遠い故郷のお祭りを再現したのだ。アイルランドの首都ダブリンでは、ここ数年好景気の波に乗って大掛かりな「パレード」が行われている。 パレードには登録したグループのみが出演できる。大きな山車を作ったり、仮装したり、音楽を演奏したり、グループごとに趣向が凝らされている。必ず登場するのが、「聖パトリック」と「蛇」。実は聖パトリックが島から蛇を追い出したお陰でアイルランドには蛇がいない、と伝説で語られているのだ。 3月17日は『聖パトリックの日』。 日本では余り知られてないが、 アイルランドの伝説の守護聖人、 聖パトリックに由来するお祭りの日。 アイルランド系アメリカ人が多い筈のアメリカ合衆国では、元々の宗教的な意味が薄れ、祝日には指定されていないとのこと。 このお祭りのシンボルになっているのが 「Shamrock」 (クローバーの一種で アイルランドの国花)。 三つ葉の葉は ローマカトリックの三位一体説(父と子と聖霊)をあらわしている。 アイルランド系のアメリカ人はこの日に緑のクローバを身につけ、それ以外のアメリカ人も 「Something green」 (スカーフや リボン、ネクタイ)など、なにかしらグリーンを身につけるのが一般的らしい。大都市では 盛大なパレードが繰り広げられ、この日が春の到来を告げる。 アイルランド系アメリカ人が多い、ニューヨーク、ボストンのパレードは 特に有名で、ニューヨークのパレードでは、 センターラインまで緑に塗り替え、パブでは緑のビールやアイリッシュコーヒーを出している。
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