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No.5692
ゆるされない愛
by おやじ from ハリファックス 2003/05/17 22:16:20

もし君に会えたなら、今日も君のことを考えていました。
君にふれるこができたなら、なんて素晴らしいのだろう。
ああ、僕には家内が、、、許されない愛
でも僕は君に夢中なんだ。

CB400superfour張り裂けそうなこの胸!。


             ごめんなさい、、、、

Res.1 by マグノリア from バンクーバー 2003/05/17 22:43:03

CB400superfourって何だろう?って思って検索かけちゃいました
だって奥様と動物を大切にしている「おやじ」さんが好きだから。
「あららバイクも好きだったのね!」って違う一面を発見したようで嬉しくなりました。
欲張りなおやじさん!私は貴方のファンです  
Res.2 by るる from バンクーバー 2003/05/18 03:57:32

おやじさんらしいおもしろい文ですね!私の夫も今バイクに夢中です。車買うお金ないからバイクに目が行くようです(笑)
だから最近カワサキとかホンダとかスズキのバイクのホームページを見せては「これいいなあ、どう思う?」といってきます。
道を歩いてもバイク、車の話多いしバイクが止めてあるといきなり立ち止まって説明しだす始末です。(急に立ち止まるもんだから後ろの人にぶつかるし笑)彼も心を奪われた一人です!Boys will be boys!
 
Res.3 by おやじ from ハリファックス 2003/05/18 18:27:44

マグノリアさま、こんなアホなおやじをかまってくださって本当に有り難うございます。検索までさせてしまいもうしわけありませんでした。これからも「おやじに愛とバイクを!」の運動を根気よくつづけて、いつの日かおこぜじゃなくて、最愛のカミさまに買って頂けるのを待つつもりです。
なぁーんちゃって、10年たっちゃった、、、。


るるさま、そうですか、ご主人様も「発熱中」ですか、わかるなぁー、「これ見て、どう思う?」10000回ぐらいやった。現行バイクの北米モデルならほとんど暗記した。
でも無意味、、、。でも、あきらめないでがんばろう、ご主人様にバイク買ってあげて下さい。もし、可能(あなたのしあわせ設計に支障なければ、、、)であれば、この頃はバイクのエンジンみたら中が透けて見えるほど、あたらしいエンジンや技術をバイク雑誌で勉強しました。
るるさまのご主人といつの日か二人のバイクを並べ、マーテル・コルドンブルーを飲りながら「内燃機関」についてあーだこーだ語り尽くしたい。
     少年にバイクを!

欲張りなおやじ、、、だけど「ゆるされたい」  
Res.4 by るる from バンクーバー 2003/05/18 20:06:05

私は日本では両親にバイクを乗ってはいけないって言われてたんです、事故したら大変だからと・・。でも興味はあったのでもしも余裕ができたらバイクを夫に買わせて私は後ろでしがみついてビーチ沿いを走るとかいいなあ。自分が運転するのは車でもバイクでも怖いので・・・。おやじさんも「これ、どう思う」攻撃をしていたのですね笑 やはり奥さんに相談しないとね、いいバイクは100万近くしますもんね。(だいたい8000ドルのを見てますけど・・・でもいつ買えるんだろ?)。エンジン透けて見えるまで夫は見てるかわからないですがおやじさんがバイク買えるように祈ってますね〜!  
Res.5 by 無回答 from バンクーバー 2003/05/19 23:42:48

なんだバイクの話か、タイトル的に違うこと期待したのに。  
Res.6 by ややおやじ from バンクーバー 2003/05/20 10:03:35

おやじさん、これって通称「よんフォア」のことですよね。タンクが赤・青・黄色で底が真っ直ぐなやつ。俺も乗りたかったな、このバイク。  
Res.7 by おやじ from ハリファックス 2003/05/20 18:55:02

ややおやじさま、「よんフォア」とあなたは呼ぶのですか、今も大変人気がありますね。ぼくらは「Cよん」とか「フォワン」とか呼んでました。当時はGT380とかSS350 とか2ストが好きでなんどかのせて貰ったのですが、バンクがあさく、音の割にはおそいなぁーといった印象でした。
エンジンはOHC空冷でした。で、今欲しいのはその、現行モデルの可変バルブがついた、DOHC24バルブ、インラインフォー、水冷となり、今年からCBXのツートンカラーが追加になったもの、最低チタンのレインボー焼けのマフラーはつけたいと夢見ておるのです。
むかしのCB400フォアは、スーパースポーツとサイドカバーに英語でステッカーがはってありました。

追伸、おやじの不倫と楽しみにここをクリックされたみなさまごめんなさい、だけど、悪ガキに戻って、「アホが見るぶたのケツ」くっくっ、、、しつれいしゃした。  
Res.8 by 元カイシャイン from カナダ 2003/05/21 17:54:35

おやじ殿

直接レスを交わすのは初めてですが、よろしくお願いします。

昨年と同様、この時期になるとバイクの話題を書き込まれるそのお気持ちは察するに余りあります。 私も昨年日本を離れる時に750Ninjaを処分してからというもの、msn.comで個人売買のオートバイを見ては溜息をついております。 (CB250セニアとか、Z750Twinとかを発見しては、「おお!」と感嘆の声も上げておりますが...。)

「GT380」については私が高校生の時に全盛だった機種で、先輩達が大騒ぎしていたのを覚えております。 チタンのレインボー焼けのマフラーも良く耳にしたフレーズでありました。 当時はオートバイに興味が無かった私も20歳を過ぎる頃には中型免許を、30歳直前にして限定解除を果たしたのですが、やはりここカナダではなかなか嫁さんの許可が下りません。 おやじ殿、同類相憐れむとはこのことでございます。 (;O;)

それにしても、ZRX1200R... 欲しいです...  (-_-;)  
Res.9 by おやじ from ハリファックス 2003/05/21 18:54:38

元カイシャイン殿

ご丁寧なご挨拶痛み入ります。こちらこそ宜しくお引き回しの程お願い申し上げます。

私も大阪は門真の運転試験場において、あこがれのGT750水冷(ウォーターバッファロウと呼ばれていました)2ストのアイドリングがいやに高いマシンで限定解除いたしました。思えば遠い昔でございます。

カナダも東部ですと、半年は乗れません。いかに高価なおもちゃであるかは家内に教えられなくても頭では理解できておるのですが、、、欲しいのです。

Ninjaに乗っておられたのですね、TOP GUNでトムが乗っていたやつですね。あのカウルさえ昔は違法改造だったのを若い人は知らないでしょうね。男KAWASAKIがお好きなのですね、自分ははじめはSUZUKI(
バリーシーンが好きだったから)のち本田宗一郎氏の本を読んで傾倒し、ホンダ党となりました。

元カイシャイン殿、御貴殿の奥方が許可され、ZRX1200Rが晴れて貴殿のものになる日が来ることを祈っております。

ついでにクシタニの皮つなぎも欲しいです、、、。  
Res.10 by 元カイシャイン from カナダ 2003/05/21 19:28:09

おやじ殿

おお、ジィーティー・ナナハンで限定解除されたのですね。 ウォーター・バッファローとは今回初めて聞きましたが、また言い得て妙なネーミングですね、タンクの張り出しが正に水牛の肩のようで、本当にそんなイメージのバイクでしたね。 

ツーリングの途中でちょっと話した125ccのバイクに乗ったお兄さんが、『独身の時はGT750に乗ってたんだぜぇーっ』って言われても、全然ピンと来なかったのですが、その後何年かしてからRZV500Rが500ccであれだけの過剰なパワーであることから想像して、『えーっ、ひょっとして、GT750って大変なバイクだったんじゃない?!』と余りにも間抜けな反応をしたのを思い出します。 

思えば、あのお兄さんも現在の私達のように生活に押し潰されてGT750から125ccのトレール・バイクへと乗り換えなければならなかったことも、今頃になって分かるというのもまた間抜けの限りでございます。

ホンダのバイクはエルシノア125ccとホークII に乗っていたことがあります。 ホークII は米国に居た時に乗っておりましたが、重さはともかくとしてトレール・バイクのような取りまわしの良さに気を良くして、ひと気の無い公園の芝生の斜面でキャンバー・ターンを繰り返し練習していたところ、斜面の下側へドテッと倒れ、高校生のお姉さんに笑われたことも、今となっては儚い思い出であります。
 
クシタニの皮つなぎですね、(゚ー゚)(。_。)(゚-゚)(。_。)ウンウン ってお気持ちお察し致します。 タカイの皮つなぎは高い(たかい/高価)って、言い古された駄洒落も思い出しまする。  
Res.11 by びっくりしたぁ。 from バンクーバー 2003/05/21 23:05:38

久しぶりに「フリー掲示板」開いてみたら、おやじさんが・・・しかも衝撃的な題名で!!
えぇぇぇ、あのおやじさんまでもがぁぁ?
と思って開いてみたら・・・バイクでよかった。まんまとひっかかっちゃった、アタシ。

夢子ちゃん元気ですか??

Byおやじさんファン。  
Res.12 by おやじ from ハリファックス 2003/05/22 19:13:27

びっくりしたぁ。さま、
ごめんなさい、引っかける意図はなかったのです、家内に「衝撃」を与える作戦でしたがやはり、不発でございました。
夢子はおかげさまで大変元気です。よく食べ、よく「地蔵」しています。笑ったような笑わぬような、とてもかわゆいのでチューしてます。

元カイシャイン殿

ホークツウ(どうやって線をだすのかしらない)はなつかしいですね、やかんタンクのでしょうか?。ゼットツウは音は大好き、あのカムシャフトがかぶるというか、ずうぃーんと言うのは素敵でした、でもなぜか、グリップとポジションがしっくりこなかったのでした。

僕のような甲斐性なし、愛妻家にとってライダーへの復帰の道は険しいのです。が、「思いこんだら、試練の道をゆくが男のど根性を、、、(巨人の星)」を歌いながら頑張ります。

メットはマルシンの武将と言うモデルで、内張が皮でした。ジーンズはLEEのライダース、ブーツはバギー、白または黒のTシャツ、あたまは丹頂のポマードでかため、メットを脱ぐたび櫛を入れていた。革ジャンは黒のシンプルなもの。ツーリングのときはグリンフィンの布つなぎを着ていた。

夜明けぎりぎりに阪神高速の空港線を走る、名神高速と平行した、数キロは側壁にオレンジのライトが埋め込まれていて、直線は「滑走路」みたいで、メーターを160キロ振り切る、本当に飛ぶようで、背筋がゾクゾクしたものでした。

夏あつい夏、皮のグローブのにおい、したたり落ちる汗、エンジンの熱気がつくる陽炎になにを見ていたのだろうか、あまりに遠すぎて思い出せないでいます。  
Res.13 by 元カイシャイン from カナダ 2003/05/25 18:25:52

おやじ殿

今頃になって気が付いたのですが、おやじ殿のハンドル・ネームは、ひょっとしたら本田宗一郎氏の愛称である『おやじ』から命名されたものなのですか? もしそうだとしたら、Res. 9 を拝読させて戴いた時点で気が付くべきころ、大変失礼してしまいました。 

ホークII(アルファベットの「 i 」の大文字2つで入力しました)のカブトムシ色(ブルー・メタリックもありましたが)やかんタンクは余りにも個性的でしたが、比較的短期間にマイナーチェンジされてしまい入手出来ず、私が乗っていたのは四角くなった赤いタンクの方でした。(当時の私には新車を速攻買うだけの経済力が無かったのが実情なのでございますが...)

ZII のエンジンは今は亡き(勿論、当時も珍しい)カムの駆動力をクランク・シャフトからカム・シャフトまでをギアでもってくるという画期的贅沢な設計でございました。 あのウィーンという快音はその音でございます。 おやじ殿の体格を存知上げませんが、Z1は当時、輸出向けの設計でございましたから、同様のフレームのZII も比較的大柄な西洋人向けの設計となってしまったのでしょう。 私もNinjaは逆輸入の900と日本国内向けの750の両方に乗った経験がございますが、仏仕様(ホトケ仕様と読まないでください、フランス向仕様のことでございます)の900の方はステップの位置が750よりもずっと後ろにあり、渋滞時の脇のすり抜け時などは短足の私には750の方がシックリしたことを思い出します。

>メットはマルシンの武将と言うモデルで、内張が皮でした。
はい、月刊オートバイや月刊モーターサイクルの裏表紙辺りにいつも広告が載せられていた製品でございますね。

>ジーンズはLEEのライダース、ブーツはバギー、
LEEライダースは当時憧れのジーンズでありました。 太腿の部分がリーバイスよりもゆったりとしていてバイクのライディング用にもとても快適でした(が、勿体無くてバイク用にはなかなかはけませんでした)。 当時、好きだった女性に会いに行く時に1度だけはいてオートバイに乗った記憶がございます(なぜ1度限りだったかは、敢えて聞かぬようお願い致します)。

>白または黒のTシャツ、
はい、白または黒でキリッと引き締めたものでございます。

>あたまは丹頂のポマードでかため、メットを脱ぐたび櫛を入れていた。
米国のTVドラマ『Happy Days』に出て来るフォンジーのようにされていたのですね。

>革ジャンは黒のシンプルなもの。
当時は色付きの皮ジャンや皮ツナギは、ほとんど皆無でございましたものね。

>ツーリングのときはグリンフィンの布つなぎを着ていた。
『キリン』という題名の(東本昌平 著、Mr.BikeBG(Buyer’s Guide)に連載されていたバイク漫画が単行本化され、バイク好きのあいだではかなりの人気の)漫画の中で、『グリフォン』というチームも描かれていたと記憶しているのですが、『グリフォン』は『グリフィン』を捩ったように思えます。 私は存知上げませんでしたが、グリフィンというチームは実在したのですか? 

おやじ殿は阪神高速の空港線を楽しまれたのでございますね。 私は東京の首都高C1ぐるぐるコースと中央高速を堪能させて戴きましたました。

Res.12の最後の一節には、感動いたしました。 拝読させて戴いた時に、東京から四国へ出掛ける夏のツーリング(当時は神戸〜淡路島までフェリー経由しか無かった)で通りかかった鈴鹿峠の田舎道で赤信号に止められた時の風景を思い出してしまいました。 

赤信号が灯っている信号機の遥か向こう側には、真夏の青空を背景に入道雲がポッカリと浮かんでいるのが見え、タンクの下からはムッと湧き上がってくるエンジンの熱気、皮ジャンの中の蒸れた背中をツツーッと伝う汗。 後続車がいないことをいいことに、キル・スイッチをひねってみると、遠くの山々からこだましてくる蝉の声。 そしてエンジン再始動にて、また風景が流れはじめ、蒸れた皮ジャンの中の空気とエンジンの熱気はすぅーと後ろに抜けてゆく。 時間にすれば、ほんの数秒ですが、今も私の記憶には強く焼き付いております。

真夏の日差しに目一杯照らされ輝く自分のオートバイ、その背景には長く続く国道、さらにその向こうには青く霞む日本のなだらかな山々、谷あいからはヒグラシの声。 人並みに所帯などを持とうと腹を括った瞬間に、脳裏に浮かんだこの風景と、失うことのせつなさが胸の片隅にじんわりと射し込んだ一瞬でありました。

 
Res.14 by おやじ from ハリファックス 2003/05/25 21:20:17

元カイシャイン殿

レスの「思いでの一瞬」には感涙いたしました。男は男であることは、せ・つ・な・い、まことにやるせないのでございます。貴殿の描く風景にオートバイは「独身」の象徴というか、ゆるされるべきではない「自由」が淡く溶けているようで、、、。
もちろん、当時は知る由もない「生活」、いえいえ「結婚生活」に不満など微塵もございませぬ。ただただ、日々感謝これあり、ではあります。
されど、バイクを思うとき、、、胸がしめつけられるのでございます。

グリンフィンは実在したと思います。定かではありませんが、買ったときに「レプリカ」と申しておりました。黒地に首の付け根から手首までにほんの金色(黄色にちかい)ラインが入っておりました。
当時の彼女が別れるときに欲しいと言うのであげてしまいました。

おやじの由来は本田氏ではありません、恐れ多いです、でも、カナダで初めて買った、CIVICも「宗ちゃん」CRVも「宗ちゃん」と呼んでいました。やんちゃな本田宗一郎氏、財界荒法師土光敏夫氏は心の底から尊敬する日本人です。

あと、大藪晴彦の「汚れた英雄」を何度も読んだ記憶があります。本当にバイクに乗っていたときは楽しかった。ツーリングに寝袋だけをもってゆき、岡山の畑のあぜ道で寝て起きたら、農家のひとがおにぎりをくれたり、福井の民宿で泊まると、アベックばかりなので、女将さんが気を遣って母屋に泊めてくれて、お風呂も一番風呂にしてくれたり、中学生の息子さんがバイクを洗ってくれたり、あついあつい田舎の国道でタバコを吸ってると、習志野ナンバーのシャコタン・黒塗りローレルが止まり、いかつい兄ちゃんが「冷たいコーラ」くれたり、和歌山では、ねえちゃんが家に泊まりよし、、、、。
友達と麻雀していて腹減ったということで、牛丼を買いにいき、そのまま六甲まで行き、帰ってきたらみんなが寝ていた。
みんなが、単車でモーテル入られへんとバイクを降りる中、ひとり、バイクに乗っていた。市川雷蔵の眠 狂四郎の「女は抱くものとしか心得ぬがそれでもよいか」を本気でマネていた自分。

アホなのでございます、今も昔も変わらずにアホなのです。そして、死ぬ前にもう一度ライダーになりたいのでございます。

貴殿と田舎の国道で「ピースサイン」をかわす瞬間の逢瀬を夢見るのでございます。  
Res.15 by 元カイシャイン from カナダ 2003/05/26 19:30:25

おやじ殿

おやじ殿は4輪車も含めてホンダ党なのでございますね。 確かにホンダは4輪車も非常に良いモノを作ります。 しかしながら、私にはホンダ車(特に4輪車)には乗りたくなり理由があるのです。 

10代の頃、兄から譲り受けたエルシノアに乗っていた私はかなり老朽化の激しかったそのオートバイを自分で直しながら乗っていました。 当時のバイクは、ほとんどメンテナンス・フリーに近い現代のものとは違いました。

出掛けた先で、クラッチ・ワイヤーが切れてしまい、途方に暮れた挙句に無い頭を絞って思い付いた、押しがけスタートにギアのバックラッシュを利用したダイレクト・シフト、そして何よりもスキルが要求される赤信号でのニュートラルへのダイレクト・シフトなどの操作などは、今思い出しても甘く切ない10代の思い出でございます。 

そんなに手の掛かるバイクでしたので、部品調達の為ホンダ直営サービス店であるHonda SF(Service Factory)へは足繁く通ったものでございました。 このSFは本田宗一郎氏の影響でしょうか、本当にバイク好きの方達ばかりが働いておられたようで、SF従業員と客という立場を超えて同じバイク好きとしてのお付き合いが出来たものです。 

ところが、ある日、そのSFの前を通りかかってみると、そこはホンダの4輪車のディーラーになっていたのでございます。 ホンダが通産省の行政指導にもかかわらず4輪車を作り始め大成功となったことは素晴らしいことであります。 また、企業としてはそうして時代の流れに乗らなければならなかったことも理解出来ます。 しかし私はあんなに素晴らしいSFを廃止してしまったホンダに裏切られた気持ちで一杯になってしまったのです。 『許そう、しかし忘れまい』(どこかで聞いたフレーズではありまするが…。)

こんなどうでもいいようなことをぐだぐだ言っていること自体アホなのでございます。 ツーリング先でのアホさなど書き出したら限が無いので、それは次回以降にさせて戴きます。

 
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