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No.10156
凄い!済美高校 甲子園初出場初優勝ー 創部3年目の史上最速の栄冠。凄すぎる。
by 上甲さんは凄い! from バンクーバー 2004/04/04 09:54:01

愛媛県の済美高校が甲子園でやっていたセンバツで優勝しました。 
しかも 創部3年目の野球部で 以前は女子高だった。 そこで 上甲監督(野球好きな方なら知ってると思いますが)を宇和島東高から 誘い、早くも結果を出してしまいました。
しかも 上甲監督は 宇和島東時代にも 初出場初優勝している唯一の方なのです。 
あまりにも凄い事なので 投稿しました。
去年に阪神を優勝させた 星野監督も凄いですが
今回の上甲監督はさらに凄いと思う。
いかに旨く人や生徒を接せればその様に出来るのかなど、一度お会いして話しを聞きたい位です。
皆さんも単純にでも 凄い事と思いませんか?

Res.1 by 南予 from バンクーバー 2004/04/04 11:43:18

愛媛の方ですか?
私も新聞見た時本当にうれしかった!!上甲監督なんだ。宇和島にももう1度大台に立って欲しいけどな。  
Res.2 by 上甲さんは凄い! from バンクーバー 2004/04/04 11:55:57

愛媛には少し住んでました。
南予さんは南予出身ですか? 宇和島の方? 自分は野球好きな人です。
そうですねー 宇和島にも また 頑張って欲しいです。  
Res.3 by 無回答 from 無回答 2004/04/04 13:54:46

あなたは高校野球の裏事情を知っても本当に純粋に「凄い」と言えますか?裏で動いているお金はプロの比じゃないんですよ。  
Res.4 by 南予 from バンクーバー 2004/04/04 14:53:42

お金のことと、トビ主さんが出したこの記事の内容は関係ないんじゃないですか?

私の親戚が上甲監督知ってるらしいですけど、本当に人望の厚いいい人だといってました。

あ、そうです。私学生時代、宇和島にいました!本当に大好きです!トビ主さんはどこにいてはったんですか?

 
Res.5 by 上甲は凄い! from バンクーバー 2004/04/04 16:35:54

レス3の方へ では 具体的にどうなって どのくらいのお金が動いているのか教えて下さい。 もし 具体的にいえないようなレスを次にしてきたら ほんまに 怒るで。
南予さん 自分は新居浜と西条に少し居ました。  
Res.6 by 無回答 from 無回答 2004/04/04 19:31:52

私も高校時代宇和島にいました〜〜。
もちろん南予出身です〜〜
大学も松山だったので、
済美高校のニュース、とてもうれしく聞いています。
横やりなんですが、上甲監督は
宇和島東高校から、今治西(だったかなあ〜?)
に移動して、済美高校に移ったような。
ので、宇和島東から誘い、というのは
ちょっとちがうのでは。
 
Res.7 by 愛媛県人 from バンクーバー 2004/04/04 20:21:31

私もビックリしました。
母親に電話かけたら上甲監督っていうのもビックリだけど、済美が共学になっていたのを知らなかった。。。仕事で毎日前を車で通ってたのに・・・  
Res.8 by 上甲は凄い! from バンクーバー 2004/04/04 21:00:52

宇和島東高校野球部と上甲監督

  上甲が母校の野球部監督になってから彼の指導の下、選手達は少しずつ力を付けてはいたが、まだまだその力は微力なものだった。南予地方ではぬきんでた力を持ってはいたものの、当時全盛を誇っていた松山商業の前には厚い壁がはだかっていた。監督に就任しての二年目の昭和59年の夏、宇和島東高は早くも決勝戦に辿り付くことが出来た。

 そこで勝利を得れば甲子園の切符が待っている。念願の初優勝は、宇和島市民の誰もが抱いていた夢であった。内子高校に6対2、北宇和高校に10対0と圧勝し、三島高校に4対3、準決勝の新居浜工業には8対7と接戦を粘り勝ち抜いてきた。しかし決勝戦で対戦した強豪松山商業には2対18と予想外の大差をつけられ、屈辱的な敗北を喫した。

 皮肉な事に翌、昭和60年には初戦で松山商業にあたり、これも1対9と大差で敗退した。
初戦で松山商業に敗退した翌年、昭和61年には決勝戦に進むことは出来たもののまたしても松山商業に6−0で敗れた。二度までも決勝戦に駒を進めながら、同じ相手に一方的な試合で敗れたことで、東高野球ファンからは無能な監督のレッテルを張られることもあったが、上甲は少しずつではあるが、チームの手応えを感じ始めていた。負けはしたものの、点差は僅かながらも接近していた。

  この経験はその後、監督在任中、春夏合わせ11回の甲子園出場、春夏四季連続出場(平成5年春夏、平成6年春夏・中日・平井、ロッテ橋本在籍中)、愛媛県でも戦後初の成績で夏将軍と呼ばれる松山商業でさえなしえなかった、全国大会3年連続出場(平成9,10、11年)という偉業を成し遂げた上甲正典監督の大きな基礎となった。確かに平井、橋本、宮出というプロ野球選手になる素地を有した時期もあるが、どちらかといえば高校野球として全員野球で勝ち取るケースが多かった。それが愛媛の地で様々な高校野球の歴史を塗り替える歴史の1ページを刻むことが出来た要因でもあったのだろう。(因みにヤクルトの岩村がいた時代には一度も甲子園の土を踏んでいない)
 
 将来、再び宇和島東高野球部に黄金期が再来するかどうか、神のみが知ることであろう。上甲監督は野球以外には何の取り柄もない男だったかも知れない。彼から野球を取ればただのその辺りのありふれた男であろう。彼は学生時代の下積みの野球生活を経験したことで、名伯楽の名をものにする事のできた男だった。その影には、彼の人並み以上の努力の結晶があった事を忘れてはいけない。
高校野球の監督として、どうあるべきか、彼は常に悩み続けていた。全国の有名な監督の下に教えを請う為に、彼は時間を割いては訪ね回り、選手を育成するヒントを捜していた。
 その結果が、無名の県立高校を甲子園常連校にまで育て上げたのである。

 彼の名は宇和島東高校野球部の、いや愛媛県高校野球の歴史を語るとき、名監督として永遠に名を残すであろう。

 平成13年初夏、彼は最愛の妻を病で失った。長い闘病生活で入院している妻の病室を彼は練習後毎日のように訪れていた。病院の廻りでリハビリをかねて散歩する、彼と妻の姿は夜の闇に隠れて世間には見えなかったようだが、知っている人間も少なくなかった。しかし野球に於ける彼の努力と同じように、総じて世間からは見えにくいものであった。
 上甲が監督として活動出来たのも、常に陰で支えてくれた伴侶がいたからであった。

 その年の夏、彼は意を決して慣れ親しんだ母校宇和島東高校野球部監督の座を去った。

 それまでにも県内の私立校から野球部監督としての招聘はあったものの、宇和島東高校以外では野球をやらないと公言していた彼であったが、妻の死は何よりもつらく彼にのしかかっていた。妻の死という悲しみを乗り越えるために、彼は悩んだあげく済美高校野球部監督としての道を選択したのだろう。
 彼から野球を取れば何も残らない程の野球馬鹿であったかも知れない。彼の人生で野球を除く事は考えられなかった。共学となったばかりの松山、済美高校の野球部監督という新天地で気持ちも新たに、白紙から再出発する彼にエールを送りたい。私学ばかりでつまらなくなったという高校野球ファンの気持ちは理解出来るが。名伯楽としての彼の今後に期待すると共に、彼の築いた栄光を、次期宇和島東校野球部監督に期待したい。

    【追補】
平成15年秋の大会で、上甲正典監督率いる済美高校は公式戦初勝利をあげた。
しかも、創部2年目にして秋の県大会で見事初優勝を勝ち取ったのである。

(愛媛新聞10月20日の記事より)
 今大会、済美の打力は他チームを圧倒していた。準決勝まで3試合のチーム打率は4割5分6厘。決勝でも全員がコンパクトに振り切る打撃を心掛け、鋭い当たりを連発。毎回の12安打を放ち、毎回得点圏に走者を進めた。
 五回の攻撃では、ソツのなさが光った。四死球と相手失策で労せずして得た好機を逃さず、わずか1安打で4点を奪った。「直球が来ると思っていた」と狙い球を絞って適時打を放った鵜久森、一死一、三塁から確実に犠打を放った田坂の打撃も見事だった。
 「大会を通して、みんな自分のバッティングができていた」と鵜久森。攻撃力を最大の武器にして、済美が初の四国大会に臨む。

従来三校の出場枠があった四国地区であるが、どうやら来年からは二校に減るようである。
愛媛県からはしばらく選抜に出場していない。これからの奮起を期待したい。


【平成15年11月9日更新】
平成15年11月9日、選抜の重要な参考になる秋の四国大会で、上甲正典監督率いる済美高校は10x対3で鳴門工業を下し、創部2年目にして初出場・初優勝の栄冠に輝いた。
まさに上甲正典の監督としての手腕が導いた結果であろう。

【平成16年4月4日】
上甲正典率いる済美高校は春の選抜大会で初出場・初優勝を達成した。
創部からわずか3年目での快挙である。彼が名伯楽であることを改めて知った。

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Res.9 by 無回答 from バンクーバー 2004/04/05 15:24:35

すごい、けど
うちの高校にも行かせてあげてー
絶対、無理だけど。。やっぱ県立の進学校の普通科だけじゃ、無理だよねぇ
 
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