The Province 新聞によると伊藤アイさんが小川に落ちたという風に書かれていたが、実際はウェアのチャックを全部閉め、顔半分を覆った状態で、両腕を自分の体を抱くようにして曲げた状態だった。
ケガもなく、小川にはまった気配も無く、小川(フィッツィモンクリーク)の側で横たわっていた。
彼女は寒い中、最後に何を思ったのだろうか。
3月20日、ブラッコムのセブンスチェアで最後に友達が彼女を見かけた。しかし彼女の遺体が発見されたのは4月6日だった。
何故ホームステイは彼女が帰ってこなかったにも関わらずレポートをださなっかたのか。彼女がウィスラーでスノーボードをことは予測可能だったはず。しかし捜索願いを出したのは3月25日のだった。
山が3時に閉まることを知りながら、何故6日間も待ったのか。
そして学校側にも疑問が残る。
彼女は行方不明になった日の朝、一度学校に登校して専用のロッカーに自身の財布と携帯を残してウィスラーへ行った。
ウィスラーの学校では、生徒たちは朝登校し自分たちの荷物をロッカーにおき、ウィスラーに向かう。そして彼らは山が閉まる3時にはスノーボードを終え、学校に戻り夕方から授業を受けるといったスタイルである。
したがって学校側も、授業に出てこない、財布も携帯も残されたままになっている、その状態を見て彼女の異変に気づくことが出来たはずである。
The Provinceには21日が休日だったので学校側も気づかなかったと書かれていたが、彼女がいなくなった20日は学校があった。
したがってその日の時点で学校側は気づくべきだった、と私は思う。