http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110412/dst11041200450002-n1.htm
3月11日午後2時46分。
あの日、あの瞬間から1カ月を迎えた東日本大震災では、多くの子供たちが親を亡くした。
宮城県女川町の木村夢吹(いぶき)君(7)も母の成美さん(35)を失った。周囲を気遣っていまだに涙を見せず、その小さな胸に悲しみを抱え込んだままだ。
朝と寝る前には、笑顔の母の写真に「おはよう」「おやすみ」とあいさつをする。でも家族が成美さんの話をすると、「寂しくなるからいわないで」と怒ったような顔をする。
成美さんはこの夏、待望の第2子が生まれる予定だった。夢吹君は、初めてのきょうだいの誕生を心待ちにしていたという。夫の隆征さん(41)は思い出す。「『ケンガができるから弟がいいな』って。間があいてできた子だったから、みんな喜んでね」。甘えん坊だった夢吹君も、成美さんの妊娠がわかった後は進んで家事を手伝うようになっていた。
成美さんは隆征さんと同じ自宅近くの水産加工会社で働いていた。海岸から1キロ以上離れた場所に建つ頑丈な鉄骨の工場。しかし大津波は工場を突き抜け、成美さんは数日後、同僚ら十数人とともに工場内で折り重なって見つかった。
隆征さんは当時工場におらず、安置所で亡きがらと対面した。傷ひとつない眠るような顔が、せめてもの救いだった。
家族が泣き崩れるなか、夢吹君は涙を見せなかった。悲しみの対面から数日後、隆征さんが「悲しいときは泣けよ」と避難所で声をかけると、夢吹君はこう答えたという。
「お父さんがいちばん悲しいから、僕は泣かない」
その後も夢吹君が涙を見せることはないが、やんちゃっぷりに拍車がかかった。
隆征さんは、夢吹君が無理をしていることはわかっている。避難所で一緒に寝起きしている祖母の豊子さん(63)も、「寂しいって言ってくれた方が安心なんだけど…」と気をもむ。
隆征さんとの職場結婚から8年。成美さんは出産に備え、震災の10日後に退職する予定だった。次の検診ではおなかの子の性別がわかる予定で、男女どちらでもいいように2つの名前も考えていた。
妻とまだ見ぬわが子を亡くした1カ月前から、隆征さんの時間は止まったままだった。何も考えられず、助けられなかった悔しさが心を埋めていた。
震災から丸1カ月となる11日、隆征さんは自宅近くで重機に乗り、周囲を覆うがれきを動かしていた。黙祷(もくとう)するために重機を止めた午後2時46分、直前に動かしたがれきの中に見覚えのある服が目に入った。結婚後、初めて成美さんが買ってくれたお気に入りのジャージー。近くに成美さんの存在を感じずにはいられなかった。
隆征さんは今、夢吹君と成美さんのために前を向こうと思っている。再出発の第一歩として、近く仮設住宅の入居を申し込むつもりだ。12日には2年生になった夢吹君も始業式を迎える。
「子どもがいっから、頑張んなきゃ。夢吹が強く、優しく育つことが成美の願いだったから」。
そう口にし、雨が降り始めた空を見上げた。