■菅首相と影の首相
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バンクーバー 2011/04/10 15:34:23
復興計画は官房副長官として首相官邸に復帰した民主党代表代行・仙谷由人の下で着々と進む。首相・菅直人と仙谷、2人の亀裂は刻一刻と広がっている。
東日本大震災発生後、菅は東京電力福島第1原子力発電所事故の対応で頭がいっぱいとなり、被災者支援は後手に回った。
だが、原発問題の長期化は避けられず、被災地ではガソリン不足さえも解消できない。被災者の困惑は政府への怒りと変わりつつある。被災地支援で指導力を発揮しなければ政権を維持できない。菅はそう考えたようだ。
大震災発生から6日後の3月17日、「原発問題に専念したい」と考えた菅は、被災者対策の要として仙谷を官房副長官に迎えた。
仙谷を全面的に信用しているわけではない。しかも仙谷は参院で問責決議を受け、1月の内閣改造で外れたばかり。
それでもその手腕を借りざるを得なかった。「仙谷を野放しにしたらわが身が危ない」との思いもあったかもしれない。
官邸復帰後の仙谷の動きは素早かった。
「乱暴副長官になる」と宣言すると直ちに被災者生活支援特別対策本部を設け、本部長代理に就任した。
3月20日に各府省の事務次官たちを招集し、こう鼓舞した。「カネと法律は後ろからついてくる。省庁の壁を破って何でもやってくれ!」
菅の癇癪(かんしゃく)と無軌道な指示に幻滅していた官僚にとって、仙谷は「救世主」に映った。事務担当官房副長官・滝野欣弥は仙谷と共同歩調を取り、省庁幹部はこぞって「仙谷詣で」を始めた。
仙谷はすでに復興ビジョンも描き始めている。実動部隊として元官房副長官の古川元久らによる「チーム仙谷」を編成。週に数回、仙谷の執務室で策を練る。仙谷はこう力説した。
「天国は要らない。ふるさとが要るんだ。造るのはふるさとなんだ!」
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官邸の雰囲気は一変した。仙谷が官房長官時代に起用した秘書官らはひそかに仙谷の元に戻ってきた。前国土交通相・馬淵澄夫や衆院議員・辻元清美の首相補佐官起用は仙谷の意向をくんだ人事だとされる。
何より官房長官・枝野幸男は仙谷の弟分である。あっという間に、あらゆる案件を仙谷が差配する体制ができあがり、官邸は「仙谷邸」と化した。
仙谷の相談役である内閣官房参与の評論家・松本健一はこう打ち明ける。「仙谷さんは『復興庁』を置き、自らが復興担当相になろうとしている」。もしかすると仙谷はある人物に自らを重ねているのかもしれない。関東大震災後に内相兼帝都復興院総裁として復興の礎を築いた後藤新平である。
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自ら招いたとはいえ、「陰の首相」の復活は、菅には面白くなかったに違いない。さっそく巻き返しに動いた。
「震災対応について大所高所からぜひお話をうかがいたいんです」
3月25日午前、首相・菅直人は電話口でこう頼み込んだ。相手は村山富市内閣の官房副長官として阪神・淡路大震災の対応に当たった石原信雄だった。「官僚が動こうにも官邸が機能不全で動けない」。こんな批判は石原の耳にも届いていたが、石原はあえて触れず、仙谷由人の官房副長官への起用をほめちぎった。「仙谷さんを災害対策に当たらせたのはよかったですね。特に事務次官を集めた連絡会議を作ったことの意義は大きいですよ」
菅は不愉快そうな顔つきに変わったが、ある提案に大きくうなずいた。
「復興政策を一元化する復興院などを作っても二度手間となる。対策本部で方針を決めたら直ちに各省庁が動く体制を作った方がよいのではないですか」
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菅は4月1日の記者会見で、唐突に復興構想会議の創設を表明し、自らの復興ビジョンをぶち上げた。「山を削り高台に住居を置き漁港まで通勤する。バイオマスによる地域暖房を完備したエコタウンをつくる。世界のモデルになる町づくりを目指したい」。
これは復興院構想の否定に等しい。石原からヒントを得て仙谷主導の復興を阻止しようと考えたに違いない。
はしごを外された仙谷は周囲に不満を漏らした。「復興構想会議の具体的な話は一切なかった。俺は首相に外されている…」
それでも仙谷は「今は我慢の時だ」と考えたようだ。政務三役や官僚が復興策を持ちかけると仙谷はこう戒めるようになった。「ここまでやったら首相が怒るぞ。待っておけ…」
待ったら何が起こるのか。少なくとも仙谷は次の布石を打ち始めたことだけは間違いない。
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