jpcanada.comについて / 広告募集中 / jpcanada.com トップ

注意事項:当サイトのコンテンツをご利用いただく全ての方は、利用規約に同意したものとみなします。
このサイトの掲示板は情報交換やコミュニケーションが目的で設置されています。投稿内容の信憑性については、
各個人の責任においてご判断下さい。全ての投稿において、投稿者には法的な責任があることをご認識ください。
また、掲示板上で誹謗・中傷を受けた場合は、速やかにサイト管理者までご連絡をお願いいたします。→連絡先
東日本大震災
東日本大震災に関するトピックです。
新規投稿される方は、こちらへ(アイコンの説明もあります)
No.201
▼被災地ボランティア 生理用品など女性用の支援物資 「突き返す」
by 無回答 from バンクーバー 2011/04/08 10:40:55

「被災者たちを助けたい」と、すぐに行動を起こしたものの、その行為を取りまとめる国や公的機関の心ない対応に憤りを感じた人たちがいる。

 大震災発生から2日後の3月13日深夜、A子さんは、支社と実家がある仙台へとマイクロバスを走らせた。

積んだ物資は、粉ミルクやオムツ、ナプキン、女性用長靴、靴下など赤ちゃんや女性用のものが中心だ。しかし、現地でA子さんを迎えたのは、“そんな要望はないんだよな”という心ない言葉だった。

「送られてきた物資を受け取る担当は、中年の男性が多いんです。この前は、ムートンのブーツが支援物資として送られてきたんですが、ムートンを知らなかったらしく、“そんなものは、いらない”と返してしまっていました。ムートンは、温かくて長靴より重宝するのに…。ほかの避難所では、女性用の下着ですら受け取らないところがあるとさえ聞きました」

 A子さんが支援に訪れたのは、実家や支社がある仙台市だけではない。いまでは原発問題で一部自主避難要請地域となっている福島・いわき市、津波で町民の半数が避難した宮城・南三陸町、2100人以上が亡くなった石巻市など。

そのいずれの場所でも、“行政の壁”を感じたとA子さんは話す。

「100個の物資を持っていっても、その避難所に101人の人がいたら受け取ってもらえない。それは、ひとつのポテトチップスを3人で分け合っているような避難所でもそう。行政は公平が前提なんです」

逼迫している人たちを前にしても、杓子定規な決まり事を守ろうとする行政。
A子さんの言葉には、憤りを通り越した無念の思いがにじんでいた。

Res.1 by 無回答 from バンクーバー 2011/04/08 10:43:37

同じ女性の別の話。 

 大震災発生から2日後の3月13日深夜、都内を拠点に活動する女性社長・A子さんは、支社と実家がある仙台へとマイクロバスを走らせた。積んだ物資は、赤ちゃんや女性用のものが中心だ。粉ミルクやオムツ、ナプキン、女性用長靴、靴下など。

 高速道路は使えないため、一般道を走り続けた。高速で行けば5時間ほどの道のりを10時間かけて到着。

しかし、ようやく物資を被災者に手渡せると思ったA子さんを待っていたのは、行政による“たらい回し”の現実だった。

「仙台市役所に行くと、“個人からの物資は受け付けていない”といわれ、対策本部に回されました。そこでも“ここじゃない”といわれて、救援物資の受付センターへ。そこでも違うといわれ、また別の場所へ回されました」

 やっとたどり着いたのは体育館のような施設。すでに物資が届いており、30人ほどの人が仕分けをしていた。しかし、緊張感は全くなく、救援物資のパンをかじり、チョコレートをポリポリ食べながらの作業だったという。

「私たちが子供のオムツやピンクの長靴、靴下などを持っていくと、“そんな要望ないんだよな”といわれてしまいました。電気ポットも救援物資として持ってきたんですが、作業をしているひとりのかたから“この前、人にあげちゃったから欲しいな”とせがまれ、あげてしまいました。とりあえず、そこに救援物資は預けましたが、その日はあまりに悔しくて眠れませんでした」

 救援物資として届いた和菓子を、腐ってしまうからと、避難所に届けずに、食べてしまう人もいたという。




これがモンスターボランティアで、モンスター行政…。

Res.2 by 無回答 from バンクーバー 2011/04/08 10:56:21

やっぱりね、こういう災害のときは、どこかで取りまとめてシステム化しないと機能しないってことがあるから、本当に助けたいんなら、きちんとプロトコルを踏まないとだめってことでしょう。

しかもこれが起こったのは震災の2日後の話ですよね?そんな混乱時のときのことを今さらアップするのもどうかなぁと思います。

テレビでもやってたけど、避難所は、それぞれの人に何が欲しいかの要望をきいて、リスト化して、それに合う物資を支給してもらうわけですよね。そしてそれを欲しいと思ってる人に届けるシステムです。
紙に、女性用下着○枚とか、粉ミルク○本とか、そういう感じでとりまとめて注文していたように思います。

そういうのを全部無視して、要望を聞かずに「これが必要だろう」とか、要望もないのに「これはいい」と自己判断で、直接避難所に持ち込んでも、現場の人は、誰が欲しがっているかわからないものを勝手にその辺においておくわけにもいかず、結局、頭を悩ませるわけで、ある意味現地システムを混乱させていることになります。

また、物資が不足している状況では、リストにも要望書にもないものを受け取ることは、本当に必要なところに持ってゆくことができず無駄になるということで、要望書にないものを避難所が断るのは、それを要望しているところに持っていって欲しいということなので、正しいと思います。

システムが混乱している災害時、いてもたってもいられなくて、思いついたことを即行動に移すまえに、相手の迷惑にならないように、持って行き方と持ってゆく場所をきちんと考えることが大切だと思います。
Res.3 by 無回答 from バンクーバー 2011/04/08 11:11:17

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110408-00000636-san-soci

マンモス避難所 スタッフ“悲鳴”トラブルも表面化
産経新聞 4月8日(金)20時37分配信

 東日本大震災で、いまだ500人以上の人が避難生活を続ける学校や体育館といった“マンモス”避難所の運営問題が表面化している。援助物資や情報が集まるなど、震災直後には強みを発揮した大規模避難所も人の出入りが激しいゆえのトラブルが目立つようになった。避難所運営は転換を迫られている。

 「人が足りない、ものが足りない、ないないの中でなんとかやっていかないといけない」

約650人が避難している岩手県陸前高田市の市立第一中学校。運営組織は避難者で自然に構成された。スタッフの山崎亮さん(26)は津波で家が流され、母親が行方不明となっている。山崎さんら約25人が震災後から交代することなく、避難所の運営に当たっている。

 1回に1500人分を作る食事の手配や救援物資の管理など、まさに睡眠時間を削ってさまざまな対応に当たっている。避難者同士の救援物資の配給をめぐるトラブルを解決したり、夜間パトロールも行っている。避難者の出入りは名簿で管理しているが、無断で出ていく人もおり、正確な数は把握しきれていない。

 4月に入り、学校の新学期が始まりつつあるが、仮設住宅の建設は進んでおらず、先行きは不透明だ。

 スタッフの疲労もピークに達している。山崎さんは「スタッフの誰が抜けても回らなくなる状況。被災者なので、片づけや肉親の捜索などやることは山ほどある。避難所の運営について県や市が主導して対策をしてほしい」と要望する。

 避難者と運営側がはっきり分かれている避難所もある。

 約1100人が避難する宮城県気仙沼市の総合体育館では、運営は体育館や市のスタッフが行い、食事は自衛隊が用意している。スタッフの一人は「当分はこの状況が続くと思う。先が分からない状態で避難している人も多いので不安はあるだろう」と話す。

 避難生活が長期化する見通しの中、岩手県は医療関係者を派遣して県内の避難所の現状を調査。衛生面や食事などで支援が必要ならば、今後、県職員やボランティアを派遣する予定だ。

 避難所の自治組織を確立するために、阪神大震災など過去の災害経験者らを避難者のまとめ役として派遣し、復旧や復興について地域をまとめる役割を引き継ぐことも検討している。(大渡美咲、小野田雄一)

Res.4 by 無回答 from バンクーバー 2011/04/13 12:40:39

病院の7割が診療に支障…停電や断水、薬剤不足

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110414-00000108-yom-soci
Res.5 by 無回答 from バンクーバー 2011/04/13 17:50:14

>また、物資が不足している状況では、リストにも要望書にもないものを受け取ることは、本当に必要なところに持ってゆくことができず無駄になるということで、要望書にないものを避難所が断るのは、それを要望しているところに持っていって欲しいということなので、正しいと思います。


地震2日後の3/13日のことでしょ。だったら、リスト作りなんて被災地はやってる暇なんてなかったですよ。ガレキの下にいる人はたくさんいるし、水さえないところもたくさんありました。
粉ミルクやオムツ、ナプキン、女性用長靴、靴下など赤ちゃんや女性用のものが中心と書いていますが、そういったものは必要です。粉ミルクやオムツ、ナプキンは、その後不足して、赤ちゃんはミルクがなくて死にそうだとか、替えのおしめがなくて、かさぶたがおしりにできて、血が出ていたそうです。
哺乳瓶を洗う水もなく、腐った匂いのする哺乳瓶をずっと使っていたそうです。

この人以外にも、食べ物でも物資を受け取ってくれなかったというブログも見ました。混乱していたのはわかりますが、生きるのに必要な物資は受け取ってほしいですね。船で市宛に正式に送られた物資も、市が取りにこないから、船からおろされてない物もありました。紙の書類がないから、とかあんな状態でいっていっていたのが致命的です。寒さや、飢えで死んでしまった人もいるんですから。

東日本大震災トップ 新規投稿 jpcanada.com トップ
Supported by Spencer Network