日本大震災:津波、静寂、街消えた 岩手・釜石で沢田さん記録/3
2分ほどで事務所にたどり着いた。建物の入り口で職員が「早く、上がってください」と誘導する。階段を上がり、2階で旦那さんと合流した。そこには、町内会の人々の顔が並んでいた。一息ついて、鈴木さん夫妻に「これで安心ですね」と声をかけ、屋上に上がると、10人ほどが海を見ていた。
その輪に加わり水平線を望んでいたら、「津波が来たぞ!」の声がする。見上げれば、港湾事務所の監視塔の窓から職員が双眼鏡でのぞいている。
カメラをバッグから取り出し、135ミリのレンズで展望するが遠くて見えない。450ミリの望遠レンズに交換すると、津波が湾口防波堤を乗り越えて湾内に滝のように流れ込んでいるではないか。午後3時14分、最初のシャッターを切った瞬間だった。
古来、数多くの津波に襲われてきた釜石。湾口防波堤は津波対策の切り札として、09年に完成した。長さ990メートルと670メートルの二つの巨大な防波堤が壁のように街を守ってくれるはずだったが、大津波はその防波堤をたやすく乗り越えて、徐々に水面を盛り上げながら港に迫る。ほどなく岸に激突し、巨大な白波が上がる。
湾内には海上保安庁の巡視船と2、3隻の漁船が見える。船首を津波の方向に向け、エンジンを全開しながらあらがっているように見える。
監視を続ける港湾事務所の職員が、拡声機で「津波が来ました。急いで避難してください」と繰り返す。「車いだ」「人がまだいる」。次々と声が上がる。
津波は湾に流れ込む甲子川を遡上(そじょう)して、矢ノ浦橋の橋げたに迫る。同17分、橋上を男性が必死の形相で走り、その背後をタンクローリーと白い乗用車が疾走する。
「危険ですから、もっと上に上がってください」と促され、監視塔のらせん階段を上がる。狭いスペースは人でいっぱい。人をかき分けて窓際に近づき、シャッターを押し続けた。
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