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東日本大震災
東日本大震災に関するトピックです。
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No.148
■被災地から 子供を失った母親たち 「いつか」を信じて前へ
by 無回答 from バンクーバー 2011/04/01 18:32:11

 取材班として派遣される前日、上司から「希望の持てる記事を期待する」と声をかけられた。

 取材初日に出会ったのが、全校児童の約3分の2が津波に巻き込まれ生存が確認されていない宮城県石巻市立大川小学校の柏葉照幸校長(57)だった。

 教諭に手を引かれて丘を駆け上がり一命を取り留めた小学生がいると聞き、避難所へ向かった。助かり、ホッとした表情を浮かべているだろう。そう思っていた。しかし様子がおかしい。男児は敷かれた毛布の上で、母親とともに目を充血させ、ぐったりと座っていた。一瞬ためらった後、声をかけた。「救助されたときの様子を…」。すると母親が「私にも話していないことをどうしてあなたに話せますか」と一言。男児は助かったが中学生の兄が遺体で発見されたという。それ以上、何も言えなかった。

 避難所を出たところで別の女性に呼び止められた。「自分より先に子供がいなくなるつらさが分かりますか。子供が一番怖かったときに一緒にいてあげられなかった」。女性の強い口調に、ただ、頭を下げるしかなかった。

 避難所を立ち去る際、ふと振り向くと、降り積もった雪で泥だらけの赤いランドセルをふく女性の後ろ姿が見えた。背中が震えていた。その女性も、津波で子供を亡くした母親だった。

 「生き残った人もつらいですよ」と柏葉校長は言う。ここに、希望はあるのだろうか。

 でも、前を向く日が来ることを、被災者の方々は知っていた。ランドセルをふく母親に、別れ際に言われた言葉が心に浮かんでくる。「私たちだって真実を伝えなきゃいけないことは分かっています。でも今は、ごめんなさい」

 復興への道のりは果てしなく長いかもしれない。それでも、母親は「いつか」を信じて現実と向き合っていた。

産経新聞 4月2日(土)7時57分配信

Res.1 by 無回答 from バンクーバー 2011/04/01 18:34:51

 「いつ迎えに来てくれるの?」。

 少年は母を待ち続けた。

 宮城県石巻市の市立小学校の避難所。同小1年の少年は、母親の迎えを待ち続けた。少年の両親は車で避難する途中、津波にのまれて命を落とした。学校にいた少年は難を逃れたが、両親が亡くなったことは知らされていなかった。

 避難所には近所の住民も多く、親代わりを務めて一緒に遊んでくれたが、避難所にいる親子連れをみると少年の目から涙がこぼれた。泣きながら大人たちに聞いた。「お母さんはいつ迎えに来てくれるの?」

 地震から1週間ほどたったころ、少年は一家の安否を心配して避難所を訪れた親族に引き取られた。避難所を出るときまで、母親の迎えを待っていたという。

 避難所で少年を見守り続けた男性は「子供に必要なのは親や親族だった。自分たちの無力さを痛感した」と、声を震わせた。
Res.2 by 無回答 from バンクーバー 2011/04/02 16:39:02

自分の子供の死はこの世でもっともみたくないです。
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