No.118
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◆オーストラリアで採掘されたウランが、日本で52基もある原子力発電所で使われ
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トロント 2011/03/28 14:03:58
オーストラリアで採掘されたウランが、日本で52基もある原子力発電所で使われ、使用済み燃料が再処理され、大きな被害を及ぼしている。
英国がオーストラリアで多くの核実験を行い、実験に参加した兵士たち(英、オーストラリア、ニュージーランド)や白人住民が被ばくしたことは知られている。しかし先住民に大きな被害を及ぼしたことはあまり知られていない。
英国は1952年に、オーストラリア西海岸沖のモンテベロ諸島で最初の核実験を行ったが、英国政府は、先住民族アボリジニの存在そのものを無視。実験の後、3,600キロ離れたクインズランド州沿岸のロックハンプトンで自然界に存在するよりも200倍も高い放射能が検出された。しかし2,400キロ以内に約4,500人のアボリジニが生活していたことは、問題にもしなかった。
英国はその後、モンテベロ諸島と南オーストラリア州の砂漠、グレート・ビクトリアのエミュー・フィールドとマラリンガで63年まで11回の核実験を繰り返した、と公式記録では記されている。だが実際は核物質(多くはプルトニウム)と爆薬を使ったビクセンB(VIXEN−B)12回をふくむ安全性実験を600回近く実施し、プルトニウムなどを大量にまき散らし、深刻な放射能汚染をもたらしたのだ。
エミュー・フィールドとマラリンガには多数のアボリジニが生活していたため、当然のことながら大量の放射性降下物を浴びることになる。英国政府とオーストラリア政府は一部のアボリジニをグレートオーストラリア湾のヤラタという土地に強制移住させたが、移住させるためにやってきた軍用車両に怯えて隠れた人、張り紙の字の読めない人たち多数が実験場に取り残された。移住させられた人たちも、生まれ育った土地を奪われただけでなく、なによりもアボリジニの生活・文化が奪われたのである。
彼ら自らの運動によって、ようやく1990年代に入ってオーストラリア政府はアボリジニに補償金を支払ったり、実験場の汚染除去に取り組み始めたが、広大な実験場の汚染除去は遅々として進まず、また補償もきわめて不完全なものである。
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