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No.5927
★「モックンって誰や」原作者が明かす「おくりびと」誕生秘話
by 無回答 from バンクーバー 2009/02/24 07:07:22

「モックンって誰や」原作者が明かす「おくりびと」誕生秘話
2月24日8時0分配信 スポーツ報知


 「モックンって誰や?」−。アカデミー賞を獲得した映画「おくりびと」の原点となったノンフィクション「納棺夫日記」。16年前、本に感激した主演の本木雅弘(43)が突然、著者の青木新門さん(71)に電話をかけたのがすべての始まりだった。青木さんは「本木さんの彼の努力に対して敬意と喝采(かっさい)を送りたい」と祝福。「私はオスカーを取ると確信していた」と語った。

 23日午後1時過ぎ。「『おくりびと』がアカデミー賞を受賞」の文字がNHKのテロップに流れた。受賞を確信していた青木さんは「本木さんに敬意と驚嘆の意を表したい」と、テレビの向こうで笑顔を浮かべる主演俳優を祝福した。

 1993年10月。富山市内の青木家に一本の電話が掛かってきた。「僕、本木雅弘と言います」。「えっ? モックン!?」。当時27歳の人気俳優からの電話を受けたのは年頃の長女。「お父さん! モックンから電話!」。しかし普段、テレビをほとんど見ない青木さんは、ポカンとした表情を浮かべただけだった。「モックンて誰や?」

 葬儀会社に務めていた青木さんは、納棺師の日常や葛藤(かっとう)をつづった「納棺夫日記」を93年3月に出版。地元の出版社に原稿を持ち込み、たったの500部しか世に出回らなかった本だったが、偶然にもインドで写真集の撮影を行っていた本木の手に渡った。本木は「蛆(うじ)も命なのだ。そう思うと蛆たちが光って見えた」の一文に惹かれ、写真集での引用を依頼した。

 それから6年後。「納棺夫日記」を持った本木の写真が、書評誌の表紙を飾った。その記事の中で本木は、こう語っている。「この本を映画化したい」

 青木さんは本木に手紙を出し「映画化するなら、あなたしかいない。どうせするなら、チャップリンの『ライムライト』みたいに、監督から何からすべてやったらいかがですか?」とエールを送った。本木からの返事には「監督は出来ません。でも、ただただ映画化したいんです」とあったという。

 10年にも及ぶ時間を掛けて、ようやく製作が決定。本木は「原作・青木新門」として作品に名を刻むことを強く希望したが、青木さんは「映画と本は違う」として、これを断った。それでも本木は「どうして名前を外すんですか」と、富山まで説得に来たという。青木さんは再び断ったが、その誠実さには感動を覚えたようだ。「彼は1時間半も正座しながら話していたんですよ」

 ノミネートが発表された1月23日にも本木から電話があった。そのとき青木さんは「オスカーを取れるよ」と断言したという「だって、人と人とのきずなと、死者と生者のきずなが描かれているんだから」。

 ◆青木 新門(あおき・しんもん)1937年、富山県生まれ。71歳。早大中退後、帰郷して飲食店を営むが倒産。73年に葬儀会社に就職し、死者を清めてひつぎに納める納棺師に。死者との心の葛藤の記録を日記として書き続け、93年に「納棺夫日記」を出版。他の著書に随筆「木濡れ日の風景」、詩集「雪原」などがある。

 ◆15万部ヒット ○…「納棺夫日記」は93年に富山市の桂書房で出版された。「初めて読んだ時、こんな『死』のとらえ方があるのか、と衝撃を受けました。読み終えて『すぐに本にしましょう』と」(勝山敏一代表)。地方出版社としては3万部(現在まで)のベストセラーになった同書は、96年には文庫化(文春文庫)もされ、現在まで15万部のヒットになっている。今回の快挙を受け、さらに4万部の増刷が決定した。


Res.1 by 無回答 from 無回答 2009/02/24 10:20:35

トピ主さん、とてもよい話有難う。  
Res.2 by 無回答 from バンクーバー 2009/02/25 07:07:05

もっくんってみかけによたず、引っ込み思案な正確なんだってやっくんに言ってました。  
Res.3 by 無回答 from 無回答 2009/02/25 07:45:10

シブガキ隊がトップテンなどの歌番組に出てたころから、もっくんずいぶん役者として成長ましたね〜。  
Res.4 by 無回答 from バンクーバー 2009/02/25 09:45:29

↑ほんと〜
顔がいいから キムタクみたいになっちゃうのか、と思ってたけど
実は 違ったね。
ここ数年はハンサムで本当に上手な役者が出てこなかったので
うれしいです、。

今回 よかったね。おめでと〜。  
Res.5 by 無回答 from バンクーバー 2009/02/25 10:58:49

努力家なんだね。  
Res.6 by 無回答 from バンクーバー 2009/02/26 04:12:05

この人もとったよ。

アカデミー賞短編アニメーション受賞作 加藤久仁生監督の一問一答

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090226-00000005-maiall-ent

 −−作品誕生の経緯は。

 日下部 10分のラブストーリーを10本作るプロジェクトがあって、家族愛、友情という意味を込めて考えて欲しいと加藤監督にオファーしました。その中の1本が「つみきのいえ」になります。

 加藤 「(つみきのいえ)脚本担当の平田研也さんとやってみないか?」とプロデューサーに言われたのがきっかけ。平田さんと話して「家の一つ一つには、家族と歴史、思い入れがあるんじゃない?」ということになり、世界観を共有して制作にとりかかりました。そして、家族や人生を象徴した存在であるおじいさんを主人公に、ストーリーラインを考えました。

 −−受賞の瞬間は?

 加藤 緊張したし、状況はじっくりとは覚えていない。呼ばれたとき興奮してしまって……。まず、スピーチをちゃんと言わなきゃと落ち着くようにと考えていたので。トロフィーは見た目よりもずいぶん重かった。(受賞の)次の日は早く帰らないといけないので早く寝ました。昨日(24日)、会社に帰ったらみんなで迎えてくれて、大変な騒ぎになりました。まだフワフワした感じですね。

 −−アカデミー賞のスピーチであった「サンキューペンシル」の意味は?

 加藤 鉛筆の手書きの感じを出すことを大事にしていて、鉛筆を握って格闘したから。そういう意味では、紙やパソコンにも感謝しないといけませんが。

 −−では(あいさつの)最後の「ありがとうミスター・ロボット」は。

 加藤 受賞したときに壇上に上がって真っ白な状態ほど怖いものはないわけで、発表の2日前に通訳の方と一緒に考えた。(米ロックバンド「スティクス」のヒットソング)「ミスター・ロボット」を言えば、アメリカの人は知っているはずと思ったので、冗談半分でそういう流れになった。

 −−受賞の自信はありましたか。

 加藤 ノミネートされたというだけで、ありがたいことと思っていた。他の作品も見ていたが、よくできていて、どれがとってもおかしくなかった。とにかく結果を待つという気持ちだった。

 −−アカデミー賞の授賞式はどうでしたか。

 加藤 全体がすごい規模で、エンターテインメントの本場だけあって、イベント自体がショー・アップしていた。(金融不況で)経済は大変なのに底力を感じた。プレゼンテーターのジャック・ブラックさんは好きな俳優だったので、会えてうれしかったですね。ジャックさんの「スクール・オブ・ロック」が楽しかったので、感謝の意を示したら、ギターを弾くまねをしてくれて感激した。

−−高校時代にハードロックのバンドをやっていたそうですね。

 ドラムをやっていたんです。ヘビーメタルとか、ロサンゼルスでは時間がなかったんですが、(ハリウッドのロックの殿堂の)ギターセンターの前にいって、手形に手を合わせてゲンをかついできました。今回の作品に関してはハードロック、ヘビーメタルの入る余地がなかったかな。次回作で……。

 −−作品で苦労したことは

 加藤 私の中で12分という作品は、今まででもっとも長かったのです。そして、鉛筆でカゲにタッチを入れるというぼう大な作業があり、朝から晩まで働いても終わらないという……。始末書を書かされるとんでもないことになりました。そこは深く反省しています。

 −−次回作の構想は?

 加藤 一人の主人公を客観的に描くという作品を作っていたので、一人称でなく感情の実感がある作品を作りたいと思います。ただ、僕が企画書を仕上げる時間と、OKするプロデューサーの判断なのでいつかはわかりませんが(笑い)。

 −−今後は?

 加藤 まだ整理できていないところがあります。こういう華やかな経験はなかなかできないものですから……。作品を作ることで欠点が見えてくるので、いろいろな経験も生かせたらなと思います。また今回の受賞をきっかけにして、作品をより多くの人に見てもらえたら。少しは会社に貢献できたんじゃないかと思います。
 
Res.7 by 無回答 from バンクーバー 2009/02/28 16:03:41

ご両親も素晴らしそうな方ですね。
http://sankei.jp.msn.com/photos/entertainments/entertainers/090228/tnr0902280839004-p2.htm

 埼玉県桶川市が、米アカデミー賞外国語映画賞を獲得した映画「おくりびと」に主演した同市出身の俳優、本木雅弘さん(43)に「桶川市栄誉賞」を贈呈する方針を決めたことが28日、分かった。

 本木さんの実家は市内で十数代続く農家。父、昭さん(70)は「大変な名誉。本人はこれからも大好きな映画や芸能の世界で頑張ってくれると思う」と喜んでいる。

 
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