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No.5855
今回の大統領就任式で気付いたこと
by 無回答 from 無回答 2009/02/01 10:08:27

クリスマスをnational holidayと言いなおしても、それはボケを痴呆と言い換えただけなのと同じだった。

大統領が聖書を使って神に宣誓する。それ自体で政教分離が出来ていない。根本から直っていないのだ。そういう意味ではアメリカですらまだ法治国家とは言えない。罪状を決める裁判も陪審員意よる人間の裁量である。つまり宗教性に大きく依存する。政教分離というものがいかに大変なものか改めて痛感した。

Res.1 by 無回答 from バンクーバー 2009/02/01 11:07:16

ちょっと歪んだ意見だと思います。

法律というものは、社会にいる人たちの「価値観」を体系化したものです。ですから、社会の根本にあるものは、その社会の構成員がもつ「価値観」なわけです。

国によって微妙に法律が違うのは、その国で「こうあるべき」「こうであってはいけない」という基準が微妙に違うからです。それは、法律とは、そこに住む人たちが共通して持っている価値観・道徳観に依存しているからです。どの国でもそうです。

たとえば親殺しが罪が重いという国は、親を敬うという共通の宗教的価値観があるからこそ、そういう法律ができたのです。

ですから、宗教に基づいた価値観がある限り、完全な政教分離なんてものはありえません。政治は、国を統治するものであり、その国に住んでいる人たちは特定の宗教に基づいた価値観を保有しているからです。

トピ主さんは「政教分離」というのを、まるで政治というものと宗教(価値観・倫理観)とが全く別物であるべきだと誤解されているようですが、そういう意味ではありません。

政教分離というのは、宗教的な組織(たとえば教会や寺院)に政治を執り行わせない、という意味です。

聖書を使って神に宣誓するという「習慣」は、政治の執行とは別レベルのものです。

宗教は人間の価値観を司るものです。
日本人は、自分が宗教として意識していなくても、価値観の中に仏教や神道的な価値観があり、それに基づいて生きていることは確かでしょう。

その価値観が根底にあってこそ、善悪の判断があり、それを共通の価値観として制定するために法律ができるのです。

そして、聖書をもって宣誓するなどの、自国の宗教に基づいた「習慣」を保持することは、まったく自然なことです。  
Res.2 by 無回答 from 無回答 2009/02/02 10:25:41

人間が政治を行う中で価値観の中に宗教が含まれるのは分かりますが、聖書を持って神に宣誓するのはどうでしょうか。
>宗教は人間の価値観を司るものです。
というご意見は極論的に聞こえるのですが・・・
宗教は人間の価値観の一部だとは思いますが司るとまで言って閉まっていいのでしょうか。
例えば善悪の判断がそこに住んでいる人たちの価値観に左右されるのは分かります。イスラム教人が多い所、キリスト教の多い所など。

 しかし、キリスト教的価値観だけに基づいて宣誓をするのは時代に合わないのではと思ったのです。政治家が個人的に信仰を持っているのはOKだと思いますが、大統領就任式などで神の名をかたる儀式があるのはどうかとおもったのですが・・・。  
Res.3 by 無回答 from 無回答 2009/02/02 10:59:14

Res2さんに同意。(トピ主さん?)
あれはキリスト教徒じゃないものが見ると、ちょっと違和感を感じる。例えば、オリンピックの選手宣誓のように国旗の端を握って宣誓するとか、憲法とか権利章典の印刷物に手を置くとか、「多民族国家アメリカ」を代表する者としてのやり方があったと思います。  
Res.4 by 無回答 from バンクーバー 2009/02/02 11:18:56

土俵で力士が塩をまくのと同じようなものでしょ。
相撲ってのはもともと神仏に奉納したものだからね。
だからと言って、相撲取りがみんな神教とか?ッて言うと違うわけでね。
いまや随分(いろんな意味で)地に落ちてる気もしますが、角界は。。。
それはさておき。
形式ってのは、
形骸化されているけれど、
仕来たり(行)として行っているだけで、
「精神的」なより所としても、
Respectしてるってことでしょう。

「式」ってのはもともと、
そういうモンで、
もったいぶって、
なにやら厳かに、
ありがたがって・・・ってモンでしょ。
時と場合によって、
宗教色としてではなく、
信仰心を現すこととして、
この手のものは、
必要不可欠なんじゃないんでしょうか。  
Res.5 by 無回答 from バンクーバー 2009/02/02 11:43:19

キリスト教信者が聖書で宣誓、別に問題ないじゃないですか?

>キリスト教的価値観だけに基づいて宣誓をするのは

これは視点が間違っていると思いますよ。

大統領が聖書の前で宣誓をしたからといって、合衆国がキリスト教だけの価値観に基づいていることにはならないです。

「宣誓」というものの意味を理解しなければなりません。

宣誓というのは、宣誓する内容が、天地神明に誓って嘘ではない、と表明することです。それを表明する手段として、自分の中で一番尊く大切なものを前にすることで「私の中で一番尊いものにかけて誓います」と言う習慣なわけです。

ですから、宣誓する人が聖書を一番大切なものとして行っているのであれば、それは、あなたが他のものを一番尊いと感じるものを前に誓うのと同じ意味を持ちます。

常識で考えたらわかると思いますが、イスラム教信者にキリスト教の聖書を持たせて宣誓させたって、宣誓に信憑性が持てませんよね?逆に、敬虔なキリスト教徒が「聖書にかけて誓う」と言ったものに嘘はないと思うわけです。

つまり、一番自分が大切だと思っているもの(歴代の大統領はキリスト教なので聖書)にかけて宣誓する習慣は、ごくごく普通のことであって、それは、周囲にキリスト教でない人がいようがいまいが、まったく関係ないです。

上に、土俵の塩のことを書かれた方がおられましたが、そこまでではないにせよ「宣誓するときに自分がもっとも尊いと思っているものを引き合いにだす」というのは、習慣であって何の問題もないと思います。

よくテレビなんかで「死んだ母親の墓に誓って、嘘じゃない!」とか言うことがありますが、「自分の一番大切なものに誓う」というのは、一般的に受け入れらている習慣・しきたりということです。

極端な話、イスラム興信者が大統領になったら(今のところあり得ないでしょうけど)コーランを片手に宣誓しても意味は同じことです。しかしそれは、イスラム教の価値観で宣誓しているのではないです。一番大切なものを前に宣誓することで、その「本気度」をデモンストレーションするという習慣でしかありえません。  
Res.6 by 無回答 from 無回答 2009/02/03 09:19:50

それでは日本の状況に目を向けると、総理大臣の靖国参拝はどう思いますか。  
Res.7 by 無回答 from バンクーバー 2009/02/03 09:33:28

↑別トピにあげなさいな。
 
Res.8 by 無回答 from バンクーバー 2009/02/03 10:27:23

大統領の聖書への宣誓と、日本国総理の靖国参拝は、論点が違うので比較してもしょうがない。出雲大社や明治神宮参拝とならちかいものはあるかな?でも違うかな??
 とにかく靖国問題は、別次元での論争。  
Res.9 by 無回答 from 無回答 2009/02/05 02:47:55

別次元でも、どっちだと思うんですか?あれも政教分離できていないといわれている一問題ではあります。  
Res.10 by 無回答 from 無回答 2009/02/06 09:58:09

両方とも良いポイントつかんでると思います。
きっとアメリカの中で文句言ってる人居ると思う。
んでイルミナティとかそういうの信じてる人はまた
面白い事考えてそうですね。  
Res.11 by 無回答 from バンクーバー 2009/02/06 13:15:55

↑自分の目で見えないものは信じないタイプでしょう?
そんな貴方の能力は無限大♪乙  
Res.12 by 無回答 from 無回答 2009/02/06 16:20:33

う〜ん、就任式式典ですよね。アメリカ国内ではオバマ大統領が裾野を広げたサポートを得るために両極端の代表たる人たちを式典(週末含め)に招待してスピーチを頼んだ、という見方が多いようです。ということで聖書もオバマ氏の信条というより彼がとる行動による国民への影響を取ったのではないでしょうかねえ?

右(保守):Invocation by Dr. Rick Warren、聖書での宣誓
左:Benediction by the Reverend Dr. Joseph E. Lowery

ってな感じで。その他にも週末のイベントでもバランス(右と左の)を取るのに気を遣っていた、らしいです。もちろん文句はそれぞれからありあり。でも両方から文句がある分、自分達派の〜さんがいるからまあいいか、という感じもあったんじゃないでしょうか。


 
Res.13 by 無回答 from 無回答 2009/02/07 13:18:30


"The Constitution does not require presidents to be sworn in on a Bible, though almost every chief executive since George Washington has chosen to do so."
http://www.cnn.com/2008/POLITICS/12/24/inauguration.scripture/

歴代の大統領は、自分が使っている聖書あるいは縁のあるものを使っていたようです。今回の就任式では、リンカーンが就任式で使用したものを図書館から借りて使用したようです。
オバマ大統領の就任の演説は、リンカーン元大統領(やケネディ)の演説を研究して参考にしている印象を受けたので、勝手にw納得していました。オバマ大統領、リンカーンのファンなのかなと。

演説では、「イスラム社会に生きる人々へ」を初め、「〜の人々へ」、など、いろいろな宗教や民族、文化を持つ人々へのメッセージが登場していました。

ここからは全て個人的な感想ですが、これらのpeople and diversity へのメッセージから、彼自身が自分のアイデンティティを確立しているからこそ、他との「違い」を認識し、尊重するということができるのだろうということが伝わってきました。

どのような宗教であれ、敬虔な教徒であることと、教えに盲目的に従ってそれ以外のことが見えなくなり、それによってなんらかの被害者を作り出してしますことは別ではないかと思います。

今回の就任式では、宗教を自分のアイデンティティの一つとして持つことで、強いfaithを得ることができ、他を尊重できる個人としていられる。という宗教のよいところを見ることができました。

アメリカで政教分離ができているかどうかはナゾのままですがw!  
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