ごめんね。添付したやつあんまりわかんないよね。これを添付するから見てね。
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http://bbs.jpcanada.com/topic_dtl.php?bbs=6&msgid=1032&resid=1&ntopic=1&cat=0
ちなみにこう言ったことが書かれてるよ。
↓
タイ ククリット・プラモード 元首相
『日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている』今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であるのか。
それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意された日である。更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々この2つの日を忘れてはならない。」 (12月8日 「サイアム・ラット新聞」)
→この話題について、掲示板でコメントする方はこちらへ
Res.1 by 無回答 from マレーシア 2005/11/14 04:03:14
マレーシア ガザリー・シャフェー 元外相
「どうしてそういう挨拶をなさるのですか。あの大戦で日本はよくやったではないですか。マレー人と同じ小さな躰の日本人が、大きなイギリス人を 追い払ったではありませんか。その結果、マレーシアは独立できたのす。
大東亜戦争なくしては、マレーシア人もシンガポールも、その他の東南 アジア諸国の独立も考えられないんですよ?」 →返信
Res.2 by 無回答 from マレーシア 2005/11/14 04:06:33
マレーシア ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教育をおこなってくれたのです。」 →返信
Res.3 by 無回答 from パラオ 2005/11/14 04:12:42
遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ……」沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。老人は村の若者達と共にその作業に参加した。日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。仲間達と話し合った彼は代表数人と共に日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。それを聞くなり隊長は激高し叫んだという「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。船に乗って島を去る日、日本兵は誰一人見送りに来ない。村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には『笑顔で手を振るあの隊長が』。その瞬間、彼は悟ったという。あの言葉は、『自分達を救うためのもの』だったのだと……。 →返信
Res.4 by 無回答 from モンゴル 2005/11/14 05:48:17
「1990年に国交樹立以来、日本はモンゴルに毎年80億円のODAを 援助している。その一環として市内バスを100台贈ったところ、モンゴル政府は自発的にバスの車体に日の丸とモンゴル国旗を描くとともに日本からの援助によるバスと表示した。
またモンゴル国立第二病院に、日本の医療器機を送ったところ、なんと病院の名前を「さくら病院」と変更して感謝の気持ちを表している。
更に、気象台関係の機械を贈ったところ、気象情報がテレビで流されるたびに 日の丸のロゴマークが必ず映るようになっており、日本への感謝を国民に知らせている。」 (祥伝社『日本人よ!胸をはれ』より)
→返信
Res.5 by 無回答 from インドネシア 2005/11/14 05:55:43
当時、世界は白人のものだった。
アジアやアフリカの有色人種は数百年の戦いを経ても白人に勝てなかった。『アジア人』というだけでそれは「支配される側」に生まれたことを意味した。
その世界の構図を正面から戦って変えた国が、この小さな島国・日本だったのである。
インドネシアの場合、350年間、彼らの祖父やその祖父もずっと勝てずに苦しみ続けた強敵を、颯爽と現われた同じアジアの日本軍が、彼らインドネシア人の目の前で討ち破ってみせたのだ。
日本軍が歓迎されないわけがあろうか。
→返信
Res.8 by 無回答 from サイパン 2005/11/14 19:03:58
サイパンや台湾などの南国では、天皇陛下に対してこんなことを言う人もいる。 「太平洋戦争がなかったならば、私は今でもあなたの臣下です。」
今年、天皇陛下がサイパンを訪れることを決めた時、例によって、韓国人が反日・反天皇デモを行おうとしたことがあったのだが、その時も「もし韓国人が天皇陛下に抗議するなら、我々は韓国企業をボイコットする」とサイパン住民は“天皇陛下のために”戦ってくれていた。(おかげで訪問は実現した。ちなみに天皇陛下は韓国人戦没者の慰霊も行った)
ttp://wkorea.exblog.jp/1116956/
ttp://www.abc.net.au/ra/news/stories/s1400138.htm
同様に南国・パラオ共和国も台湾などと同様に親日傾向が強く、今も「日本人と一緒に戦った」ではなく「日本人として戦った」と言うのだという。
こうして見てわかる通り『日本が統治した国々』から嫌われることなどないのだ。
唯一、中華思想とウリナラマンセーに毒された韓国を除いて。
(この点に不自然を感じないのも韓国人だけである →返信
Res.9 by 無回答 from アメリカ 2005/11/14 22:15:35
この神社の前には戦中は敵だったアメリカ
太平洋艦隊司令官『チェスター・W・ミニッツ』
の言葉でこんなことが書かれている。
≪「この島を訪れる、もろもろの国の旅人たちよ。
あなたが日本の国を通過することあらば伝えてほしい。
此の島を死んで守った『日本軍守備隊』の勇気と
祖国を憶う、その心根を」≫
→返信
Res.10 by 無回答 from インドネシア 2005/11/14 22:40:00
独立50周年となった平成7年、残留日本兵69名に対し、インドネシア大使から感謝状が贈られ、スハルト大統領は彼らを官邸に招いて礼を述べた。
そしてインドネシアの独立宣言文を起草したスカルノ大統領、ハッタ副大統領は“独立を宣言をしたその日付”を1945年という西暦ではなく、「日本の協力なしには独立できなかった」という感謝の念を込めて“17805”(=17日/8月/05年)つまり2605年という皇紀で記したのである。
※「皇紀」と「西暦」
西暦がイエス=キリストが誕生したとされる年を紀元元年としているのに対し、皇紀とは日本書紀に記されている神武天皇(初代天皇)即位の年を元年として起算した日本独自の紀元表記のこと。 →返信
Res.11 by 孫文 from 中国 2005/11/15 00:09:17
★中国 孫文(中国革命の指導者)
「ベルサイユ講和会議で、日本は『五大国の一員』として席に着いた。日本はアジア問題代弁者だった。他のアジア諸国は、日本をアジアの『先頭馬』として認め、その提案に耳を傾けた。白人人種にできることは日本人にもできる人間は肌の色で異なるが知能に違いはない。
★アジアには『強い日本』があるから、白人人種はアジアのいかなる人種も見下すことはできない。日本の台頭は大和民族に権威をもたらしただけではなくアジア全民族の地位を高めた。」(孫文『三民主義』より)
★“現代の”中国人や韓国人、日教組や左翼がどんなことを言おうとも、日本人が自らを恥じる必要など無いのである。
★(ちなみに中国では孫文の著書は≪捏造歴史教育に都合が悪い≫ので全て燃やされた)
→返信
Res.12 by バーモウ初代首相 from ビルマ 2005/11/15 00:53:11
★ビルマ(ミャンマー) バーモウ初代首相
「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、『1943年8月1日』に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、『東条大将と大日本帝国政府』であった」
(バー・モウ博士著『ビルマの夜明け』より)
→返信
Res.13 by クリシュナン元大統領 from インド 2005/11/15 12:13:55
★インド ラグ・クリシュナン元大統領
「インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。それを我々と同じ東洋人である『日本人が見事に撃沈』した。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。」
→返信
Res.14 by 李 成玉 from 韓国 2005/11/15 19:04:44
「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面をもつことはできない。亡国は必死である。亡国を救う道は併合しかない。
そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を≪犬か豚≫のように思っているが、日本は違う。日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。
そして、日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外に我が朝鮮民族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。 日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は欧米人の朝鮮人観を基に考察したのだ。」
(朝鮮全権大使 李成玉 『李完用侯の心事と日韓和合』)