No.3961
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日本における奴隷制度の有無
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弱ったなぁ
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バンクーバー 2007/06/21 12:06:39

こちらには日中の歴史に詳しい方がいらっしゃるので、荒れてしまうかもしれない危険をあえておかして、質問したいことがあります。
今日、職場で中国人の同僚に「中国には最近まで奴隷制度があって、自分の両親は奴隷を2人持っていた」と聞かされ、驚いていたところ「come on!日本にだって昔は奴隷制度、あったんでしょう?」と言われ、言葉に詰まってしまいました。エタ/ヒニンなんて呼ばれる階級があったとは習いましたが、そういう階級って、奴隷とはまた別で、売買の対象になっていたわけではなりませんよね?そこんところ、どうなんでしょうか?
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Res.1 |
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無回答
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無回答 2007/06/21 04:54:14

8世紀くらいに、奴婢という奴隷身分があったと思いますが、日本近代史に奴隷制度は残っていないと思います。豊臣秀吉が奴隷貿易禁止令だしたりしたくらいだし、所謂、奴隷は近代日本にはいなかったんじゃないでしょうか?私もこの話題は気になるので、どなたか詳しい方がいらっしゃいましたらご教授下さい。
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Res.2 |
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無回答
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バンクーバー 2007/06/21 04:54:59

賎民(賤民) 洋の東西を問わず、階級社会の成立とともに賎視される人びとが出てきます。 日本でも2〜3世紀には奴卑(ぬひ。 「奴碑」とも書く)が存在していたことが知れており、彼らは「奴隷」であり、社会の下層におかれ、賎しめられていました。 古代国家が確立し、唐の律令制が取り入れられるにおよんで、賎民制度が成立しました。 身分は大きく「良」と「賎」とに分けられ、さらにその内部にさまざまの身分がありました。 賎民は「五賎」といって、官戸・陵戸・家人・公奴卑・私奴卑に分けられていました。 また良民でも、品部(ともべ・しなべ)や雑戸(ざっこ)は一段低く見られていました。
古代賎民制はすでに8世紀から動揺をはじめ、10世紀初めには律令制における奴卑身分も廃止されました。 中世賎民の出現は、古代賎民制の解体ののちに見られます。 系譜的には古代賎民の跡をひく者もいましたが、共同体から流出した者、あるいは手工業者の一部も含まれました。 これらが平安期にとくに厳しくなった「触穢(しょくえ)思想」などの影響をうけ、死や血のけがれに触れるものとして賎視が強くなりました。 そうしたなかで下級の芸能者や宗教者を含む中世賎民が生活していました。 現在では、このような階層を総称して「非人」とよんでいます。 鎌倉末期になると、賎民も分化し、職業や領主関係などによって名称も異なってきました。 犬神人・河原者・穢多・きよめ・坂の者・夙の者・声聞師などがそれです。
中世賎民は厳しい差別を受けましたが、身分間の移動がまったく不可能であったわけではありません。ところが近世になると、検地や人別改めが行なわれ、身分によって居住地や職業までもが区別される支配体制が整備され、一般に士農工商と言われる近世身分制のもとで、中世賎民の一部が把握され直され、賎民身分として近世身分制の最下層におかれました。近世賎民は大別して「穢多」「非人」「その他」に区分されています。
徳川中期には賎民身分に対する差別はますます厳しくなり、風俗規制や、「穢多狩り」と言って原住地を離れ、都市に流れこんだ者を捕らえることさえも行なわれました。 穢多・非人が領主の賎民支配の中核になった存在ですが、その他にも雑多な賎民が存在していました。 加賀藩の藤内、山陰の「はちや」などは地域的な特色がありまが、茶筅・さいく・夙の者・「はちたたき」などは広範に存在していました。
また「えた(穢多)」より非人のほうが身分は下とされたものの、「えた」が世襲的な固定身分だったのに対し、非人は1代限りで、しかも領主に対する貢献度があれば「足抜け」が認められるなど、賎民身分間の分断もおこなわれていたようです。
明治維新によって近世身分制は廃止され、「賎民解放令」(1871年)も出されて、法律や制度の上での差別はなくなりましたが、実質的には賎民身分に対する差別はなくならず、それが近代社会の仕組みのなかで部落差別として遺され、大きな解決の条件は第二次世界大戦後を待たなければなりませんでした。
戦争中に朝鮮から労働力として無理矢理つれてこられた人たちも一つの奴隷だと思う、鉱山や土木事業で劣悪な条件で働かされ逃げた者は殺された。北海道にある鉄橋の橋桁には人の形をした空洞があるという、仕事中に死んだ人をコンクリートに投げ込んだという証言を元にレントゲン調査したら見つかったらしい。
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Res.3 |
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無回答
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バンクーバー 2007/06/21 05:01:31

中国では現在でも奴隷を使っている企業がある。子供を誘拐し工場に売り、安い労働力として使っている煉瓦工場のビデオを見た。
人によっては虐待を続けられたせいで自分の名前もわからないような精神的に打ちのめされた人もいた。
人身売買と、奴隷が現在でも行われている、貧富の差が大きくなるとこんな弊害も生まれてくる。
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Res.4 |
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弱ったなぁ
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バンクーバー 2007/06/21 05:07:44

コメントと解説ありがとうございます。
労働力として無理矢理連れてこられた・・・という意味では奴隷っぽいのですが、解説に出て来たいろいろな種類の賤民というのは、身分の一部であって奴隷とはまた違うのではないでしょうか?奴隷、というと、売買の対象で、「飼われている」、要するに労働に対する報酬がないということではないのでしょうか?
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Res.5 |
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無回答
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バンクーバー 2007/06/21 13:26:46

どれい【奴隷】
人間としての権利・自由が認められず、道具同様に持主の私有物として労働に使役される人間。
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Res.6 |
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無回答
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無回答 2007/06/21 13:45:36

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Res.7 |
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無回答
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バンクーバー 2007/06/21 15:18:17

1 〈人〉 a slave; 〈境遇〉 slavery; 《 fml》 bondage ¶奴隷のように働く work like a slave; slave (away) / 奴隷に売られる be sold into slavery / 奴隷的な slavish. 2 〈とりこ〉 ¶習慣の奴隷 a slave of habit / 情欲の奴隷になる 《 fml》 become a slave of passion【文例】金銭の奴隷となってはいけない. You must not become a slave to money.
奴隷解放 emancipation of slaves ¶奴隷解放宣言 史 the Emancipation Proclamation
奴隷制度 《abolish》 slavery.
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Res.8 |
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saskatoon
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無回答 2007/06/21 19:19:53

高校のときの世界史の先生が、日本が中国から取り入れなかったのは宦官制度と纏足だと言っていました。そして奴隷制は日本にはなかったといつも言っていました。なぜならば王朝が滅んだことはなかったからだと。つまり、中国や韓国では王朝が滅びるたびに、旧権力の貴族たちは新しい権力国家の奴隷になったけれど、日本は王朝交代がなかったので奴隷制は存在しなかったというわけです。
この先生は反日教組で、反核運動なんか非現実的で、平和は力の均衡が崩れたとき危なくなると言っていました。日教組が嫌いでしたからこの先生の話はいつも喜んで聞いていたから私も記憶したんだと思います。
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Res.9 |
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mukaitou
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無回答 2007/06/21 20:03:48

横レスですが、
res8さん、反・日教組だったんですね。
反日・教祖、と読んでしまって、反日運動をしてる教祖なのかと思ってしまいました。(^^)
そんな教師いたら怒りの鉄拳ですね。
失礼しました・・・
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