日本は韓国・朝鮮の植民地支配についてまず謝るべきだと主張する人の論拠として
一、日本の植民地支配は世界一苛酷なものであった。
二、日本の植民地支配には何一つ良いことが無かった。
三、韓国の発展に日本が寄与したとしても、「我々が頼んだわけではない」
の三点があることを指摘した。
そこで一点目を「日本の統治はそれ程苛酷なものであったのか」と言うことと、日本の失敗の二点に分け、更に国際比較を示し、私の結論を記す。
一、日本の統治はそれ程苛酷なものであったのか
この問題については、韓国の歴史学会が如何に事実を歪曲し、日本の学会も又、それに追従しているか、呆れる他ない。この根本原因は、戦時プロパガンダであるカイロ宣言を金科玉条としていることにある。このカイロ宣言の元となった「三・一独立運動時のアメリカ・中国での反日プロパガンダが如何に今日に影響しているか」に驚かされる。
まず歴史の歪曲の第一は、併合前の朝鮮の実態についての認識がないことである。この反省なくして再度の亡国は防げない。歴史を学ぶ目的は、歴史に学び、過去の失敗を繰り返さないことである。その意味から見て、当時の惨状を隠蔽することなく、正しく伝えることが、重要だと考える。
二点目は歴史事実の歪曲である。土地調査で農地の四〇%を不当に略奪されたとしているが、実際は三%に過ぎない。又三・一独立運動での被害者数を単なる風評をもとに積算し、総督府発表の一〇倍以上の数値を上げていることである。総督府の統計が信用でないとしても、せめて両論併記すべきではなかろうか。又移民の原因等、一時期の事を全期間の如く記述する不当な表現は辞めるべきである。
三点目は一九三〇年代後半以降の記述で、日本の貢献を全く認めていない。もし日本の貢献がなかったなら、今日の韓国の発展はなかった。その何よりの証拠は李承晩時代の停滞である。日本の統治が終わってから、経済の成長は止まったのである。又創氏改名等日本人の強制のように主張しているが、皇民化の大合唱の中、マインドコントロールされた朝鮮人地方官僚による強制と考えた方が、自然だと言うことである。この点は私の推論に過ぎないが、今日の教科書問題で見られる如く、反対意見を許さない国民性から考え、まず間違いないと信じる。
二、日本の失敗
しかし日本の政策に失敗がなかったかとなると、やはり多くの失敗が指摘できる。
まず一点目は朝鮮人の参政権の問題である。併合当時の朝鮮人の識字率、インフラの未整備等を考えると、税収が望めないのに要求だけは厳しい朝鮮に、参政権を与えなかった当時の日本政府の考えも理解できる。しかし終戦直前に参政権を与えたが、人口比から見ると、内地に比べ議員定数は極めて少ない。この程度の参政権なら、当初から与えても良かったのではなかろうか。この事によりキリスト教と天道教を敵に回してしまった。
この点、伊藤、曽祢両統監の死亡が悔やまれる。特に伊藤博文は人の意見を良く聞く人であり、日本国議会制度を作り、政友会を結成した人である。西北学会の鄭雲復会長も、伊藤に〈吾人は国会議員になり、東京に出て議会に列席する事になるべきや〉と手紙を書いている。*1歴史にイフはないと言われるが、伊藤が暗殺されなかったら、どのようにしたか興味深い。
又皇民化があれだけ進んだ南総督時代に改善すべきではなかったろうか。斉藤総督の二回目の地方制度改善からほぼ一〇年経っている。私は義勇兵の募集、労働動員の見返りに参政権の拡大をすべきだったと思う。
朝鮮人に対するいじめ、差別の問題では、当時の社会の成熟度から見ても、国際的に人種差別が当然の時代に、国際レベル以上の事を要求するのは無理と思う。しかし、それでも尚、今少しいじめを止めるような指導ができなかったかの問題が残る。
次ぎに土地の略奪問題である。土地調査により、農地を国有にしたことが問題なのでなく、それに伴い朝鮮人の小作権を奪い、日本人に払い下げたことが問題であった。この事により三三万人の農民が土地を奪われ、三・一独立運動の一因となった。
併合直後の問題点として、憲兵警察を治安の確立後も残したことが指摘できる。憲兵と警察の問題は台湾統治で、警察を中心にすべきだとの結論が出たテーマである。又学校の先生にまでサーベルを付けさせた事といい、寺内総督の上から押さえつける政策はまずかった。寺内総督の治世のまずかった点を修正すべき長谷川総督は軍事専門で、内政には無能力の人であった事も問題であるが、そのような人を総督にしたのは首相となった寺内総督である。この時期の問題点はすべて寺内総督に起因する。
創氏改名・官斡旋による労働力の配分で、総督府の強制が非難されるが、これはむしろ朝鮮マスコミによる皇民化の大合唱の中で、マインドコントロールされた、朝鮮人地方官僚によるものと考えた方が自然であろう。しかし戦時兵役や徴用工の間に多くの犠牲者を出したことは事実であり、これらの人には、敗戦でやむを得なかったと言え、深く哀悼の意を表する。
更に併合前の問題として、多数の不良邦人が、不正を働き、朝鮮人を苦しめた事は、日本人のイメージを大きく傷つけた。これを取り締まるべき領事警察までが、彼らと同調して不正を働いたことは、返す返すも残念であり、外務省の独善・無能が非難されてしかるべきであろう。又これは下司の勘ぐりに過ぎないが、細川首相の謝罪発言は、この時期に朝鮮に進出した細川家に、日本人の悪行の数々が言い伝えられていたことにも、原因があるのでは無かろうか。
三、日本の貢献
『朝鮮独立運動の血史』の中で、『チャイナプレス』のナサニェル・ペファー特派員が「当時の朝鮮は庶民の貧窮は甚だしく、その支配は極度に腐敗し、寄生的で、没落の運命は火を見るより明らかだった」と書いている*2。その朝鮮で、「人間としてのあるべき姿」や、「働くすべ」を教え、人治主義から法治主義に転換するなど、社会構造を近代化したことは、何よりも日本の貢献であり、世界に誇って良い。
台湾では海南島との比較で、台湾の経済発展に対する日本の貢献を認めている。恐らく韓国も日本が統治しなければ、中国やシベリア並の生活水準に留まっていただろう。宇垣総督が指摘したように、日本の韓国併合は軍事上の理由であった。その為に朝鮮人の生活水準の向上に全力をあげ、朝鮮の産業革命を引き起こしたのである。一九三〇年代後半から四〇年代前半の生活水準の向上は、色々な統計データで明らかであり、その結果、日鮮一体のムードは急激に盛り上がったのである。
更に日韓基本条約締結、それ以降のODAによる経済貢献も無視できないはずである。
四、「我々が頼んだわけではない」
次ぎに日本の経済発展に対する貢献を認める人も、「そんなことは日本が勝手にしたことであり、韓国側から頼んだことではない」とか「豊かになることが幸せとは限らない」と言われる。しかし飢えに苦しむアフリカ諸国の子供達を見て幸せだと思う人がいるだろうか。病気になれば祈祷師に頼るだけの国民が幸せとは私には到底思えない。縄文時代が幸せだったという人は、飢えと病の苦しさを知らない人たちである。
韓国併合までの過程を見ると、多くの人たちが、日本を頼って内政改革を行い、生活の向上をしようとした。しかし確かに国を滅ぼしてまで、内政の改革、生活の向上を願った人は殆どいなかったと思う。しかし自分が努力せず、足の引っ張り合いをしていては、助ける方も嫌になるだけである。又助ける方も、全く慈善事業で他国を助けるほど豊かではなかった。日本は朝鮮が自立して、親日的なロシアとの緩衝地帯になることを望んだ。だけど朝鮮は日本の期待に添えなかった。
私はこの経過を企業の合従連衡と合わせて考えることが分かりやすいと考えている。赤字で倒産寸前の会社があった。しかしその会社の立地条件が良い為、三社が何とか自分の味方に付けようとした。
そして遂には戦争までしたのである。
一方その会社の社長は、従業員のことは全く考えず、自分自身のわがままや、その時々の都合で、相手の会社との信義を破った。賃金の不払いも何ヶ月も続いた。心ある役員は会社の改革を目指し、ある人はA社に、ある人はB社に協力を要請した。しかし最終的に頼れるところは日本しかなくなったのである。
一般に他の会社から救済を求められた時、まず最初は資本を融資し、顧問を派遣し、できるだけその会社の自主性を尊重しながら、再建を図る。しかし再建がうまく進まないと、次第に干渉を強め、最終的に完全に被救済会社を支配下に置き、二、三〇年たつと完全に一体化する。正に韓国併合はこれと同じ経過をたどったのである。大手の会社同志の合併の場合、会社が完全に一体化するのは、新入社員が経営の実権を持つ約三〇年後と言われる。国の場合は五〇年はかかるだろう。残念ながら朝鮮を完全に一体化するには一〇年強足りなかった。
五、国際比較
又第五章第三節で明らかにした如く、東南アジア諸国に対する列強の統治との比較で、日本の統治が最も優れていた。欧米人は自らを優等民族と定義し、東洋人を一段下の民族と定義した。この事は色々な政策に反映している。それに対し、日本は人種差別の撤廃を要求した。この要求は近年ようやくアメリカで実現し、肌の色が違っても同じアメリカ人として、アメリカの発展に努力している。これは日本が目指した民族が違っても、同じ日本帝国の一員として日本帝国の発展に協力するとの理念に他ならない。
更に戦後これらの国が独立するに当たり、接収した私有財産のみならず、公債等・国の借金の肩代わりもしているのである。それに対し、日本は逆に経済協力金を支払っているのである。
以上を総合し、私は「日本は韓国・北朝鮮に一切謝罪する必要はない」と主張する。それと共に民族自決という誤りを認め、五族協和、八紘一宇の世界を目指すべき事を主張する。
六、日韓親善のために
最後に日韓親善のために、このような議論は有害無益との意見がある。しかし「相手の主張は間違っているが、親善のために妥協しよう」との姿勢では、真の親善に結びつくであろうか。歴史を学ぶ目的は歴史に学ぶことである。そのような姿勢から学べることは、「あの国はむちゃくちゃなことを主張するから、なろべくつきあわない方が良い」と言うことではなかろうか。真の親善のためには、お互い主張すべき事は主張し、「この点はこちらが間違いであった。しかしこの点はそちらが間違っていた。この点については立場・見解の相違」と冷静に評価できる時代を築く事ではなかろうか。
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