長文ですが、非常に面白い内容です
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歪曲(わいきょく)報道
高山 正之 (著)
<まえがき>
ロサンゼルスに特派員として赴任して間もない頃、ちょっとしたホームパーティに誘われた。
日米のジャーナリスト、それにハリウッドのお膝元という場所柄もあって映画の制作関係者、写真家や弁護士など結構な顔ぶれが並んでいた。
こちらが新顔と見て、主宰者側の米国人スタッフが話しかけてきた。ユダヤ系で大学を2つ出て今はシナリオ選定の仕事をしているという話だった。
海外駐在はここが初めてか。
いや、中東に少々。最近までミャンマーにいてアウン・サン・スー・チーに会っていた。彼女を食い物にしている英国人の亭主がたまたまやってきて話も聞いた。帰りにバンコクに寄ったらクーデター騒動に巻き込まれた、軍隊も出て市民が数十人、殺されたというような話をした。
例のスチンダ将軍のクーデターで、首相の座に就いた彼に市民が珍しく大規模な民主化デモを展開して抵抗し、スチンダを退陣に追い込んだ事件だ。
すると彼、「アジアか」と深刻そうな顔つきをして「日本は昔、アジアの国々でたいそう悪いことをしたな」と言い出した。
いや別に、と否定すると、彼はかなりびっくりする。鳩が豆鉄砲を食らったようなという表情でこっちを見据えて「いや日本はひどいことをした。日本は朝鮮を植民地にしたではないか」という。
違うね、ともう一度否定する。朝鮮についていえば植民地じゃない。あれは併合だった。米国がテキサスを手に入れるときの併合と同じだ。それに日本の統治はうまくいった。少なくともフィリピンを植民地支配した米国に何かいわれるほど非道なことはしていない。
彼は真っ赤になって言い返す。「米国はフィリピンを開化させた。いいこと.をした。しかし日本は朝鮮で残酷なことしかしなかったではないか」。
お言葉ですが、と一言い返す。米国はフィリピン人に独立させてやるからと願して宗主国のスペインと戦わせた。スペインが降伏すると米国は約束を反故にしてフイリピンを米国の植民地にした。
怒ったフィリピン人が抵抗すると軍隊を出して彼らの虐殺を始めた。彼らの家族も捕まえて家に火をつけ拷問して殺した。
米国スペイン戦争は1898年4月に始まり8月にはスペインが降伏しているが、戦争はなぜかその後4年も続き、1902年に終わっている。
何をもって終わったかというとフィリピン人の抵抗が鎮圧された、もう米国の植民地支配を認めますといったときまで続いた。しかもその4年間で米軍はレイテ、サマールの2つの島の島民を皆殺しにするなど「20万人のフィリピン人を殺した」と上院の公聴会の記録に残っている。
朝鮮は違った。T・ルーズベルトが朝鮮はもはや国家の体をなしていないとはっきり発言して米公館を閉じ、日本に任せている。日本は学校をつくり、電気を引き、工業を興して真の意味の、つまりあなたのいう開化を行った。
そう説明すると、彼は「日本は朝鮮を植民地にしてひどいことをしたのは事実だ」と吼えて、「もうこの話はやめだ」という。
日本をしたり顔でくさして、旗色が悪くなると、怒り喚く。こちらも少々むかついたので、「百歩譲って日本が朝鮮をフィリピン並みの植民地にしたとして、それでも日本が悪いというのは、もしかしてあなたは日本が植民地を持つことを詐せないと思ったのか。植民地を持つのは白人国家の特権と思っているのか」と畳みかけた。
彼は顔を真っ赤にして四文字の言葉を投げかけて、どこかに行ってしまった。
この男とはのちに再会する機会があった。彼はあのあと、フィリピンと朝鮮の歴史を調べてこちらの言い分が正しいのを知ったと、あっさり非を認めてきた。
そしてこう付け足した。「初対面の日本人に朝鮮の植民地の話をすると、みんな申し訳ないという。そういう形で付き合いの主導権を取ってきた。反発されたのは今度が初めてだった」と。日本人には有効な「決め言葉だったのに」と笑っていた。
ここで注釈をつけると、彼のいう「日本人」は新聞記者であり、総領事館のスタッフ、っまり各省庁からの役人であり、一流企業の駐在員など世論にコミットする世界の人々だ、そんな彼らは朝鮮併合の中身も近代史も何も知らない。特派員に至っては、そういうあやふやな知識で微妙な国際問題をさもまともそうに記事にしている。
(続きがあります、良かったらどうぞ)
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/f51bf116d43b0d600052d119aacefacd