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No.1270
転移癌。。。そして余命
by a japanese girl from オタワ 2006/01/11 20:08:18

オカンからのメールでまた入院するとあってから、数日後の今日。退院したとのメールをもらった。よかったと思ったのもつかの間。

「言おうかどうしようか考えてるけど。。。厳しい話だからお母さん電話しようか?」と。。。

急いで電話してみたら。。。実は胆管に出来ていたのは、新しい癌ではなく膀胱からの転移癌だったこと。それは胆管だけではなく腎臓の一つ、十二指腸、すい臓に広がっていてもう手術は出来ないこと、先生に月単位の余命を言い渡されたことを電話越しに涙ながらに話された。しかも腎臓一つはもう機能していないらしい。

そうだと思ったんだよね。。。12/16のCTでは癌は見付からず、今回1/6のCT検査では見付かっただなんて。。。ただ単に見逃されたんだよ。。。また。。。国立ガンセンターなのに。。。使えねぇー。。。もっと前に見付かったいたら、抗がん剤でどうにかなっていたかもしれないのに。。。

これから一ヶ月に一回外来での抗がん剤を打つ予定らしい。もう一つの腎臓に転移したら、確実に死んじゃうから。でもそれも時間の問題だと。。。

オカンに元気なうちに私の顔を見たいから帰ってきて欲しいとワンワン泣きながら言われた。やっと仕事見付かったのに、辞めなきゃいけないな。。。

いつとかどのくらいの期間行けるというのはわからないけど、とりあえず帰国の準備をしなきゃ。

無性に誰かに聞いて欲しくて投稿してしまいました。。すいません、暗い話で。。。

Res.1 by かすみ草 from バンクーバー 2006/01/11 20:23:00


すごい!泣いてしまいました!トピさん、辛いでしょう?本当に怖いよね。大切なお母さんが、ガンになってしまったなんて・・・言葉では言い表せないと思います。私もなんて言って慰めてあげていいかわかりません。

確かにやっとお仕事が見つかったようで、辞めるのは忍びないと思いますが、でもお母さんと出来るだけ長く一緒にいてあげてください。一緒にいて安心させてあげる事で、お母さんの心に余裕が出来たり、楽しく語らいあう事によって、気分がほぐれたりするから、その安心や楽しさが、血液や体液等の循環を良くして、病を治してくれるかもしれません。私も遠くからですが、トピさんのお母さんのご病気が良くなられるように、お祈りしています。

トピさん、きっと大丈夫!おかあさん、お元気になられるから、帰国したら、一生懸命お母さんを愛してあげて下さい。  
Res.2 by 。。。 from バンクーバー 2006/01/11 20:33:33

私は8年前、母親を2回目のくも膜下出血で亡くしました。
彼女の1回目のとき、「覚悟しておいてください」と医者から言われて、3ヶ月昏睡状態。私は、いつ亡くなってしまうかもしれない母に、毎日会いたくて、大好きだった仕事を辞め、病院へ通いました。

仕事なんて、いくらでもあるよ。
でも、お母さんは一人しかいない。

本当に余命○ヶ月なんだったら、後悔しないように、充分お母さんとの思い出を作ってください。
私の母は、1回目は助かったものの、それから7年後に突然逝ってしまったために、何も最期にできませんでした。今では後悔しても、後悔しきれない。。。

だから、最期のときを大切に。。。ね。
 
Res.3 by from 無回答 2006/01/11 20:41:49

私もトピ主さんと同じ理由で帰国を余儀なくされた者でした。母親は癌の術後一年後に転移し、再入院した際に余命3ヶ月を言い渡されました。

家族から電話で知らされ、すぐに一番早く手配できる日のエアチケットを押さえ、荷物も親友に頼んで帰国しました。ワーホリのビザも途中で、志し半ばで引き上げた感じでした。やはり仕事も、ちょうど決まっていました。

今はいろいろな気持ちでお辛いでしょうが、必ずトピ主さんの意志があればカナダには戻って来れますよ。お母さんと過ごす事を、どうか最優先してあげて下さい。

ホスピスの母を看病中は、自分の将来が分らない生活と、母の病気が悪化の道をたどるだけの毎日で、悲しく気の重い日々を送りました。「また戻って(カナダ)、頑張ってね。」母は、この言葉を私に残して永眠しました。

振り返れば、母と最後に過ごせた時間は幸せでした。毎日病院に足を運び、病状が悪化してからは泊り込んで看病しました。気力も体力も維持するのは大変でしたが、希望は捨てずに家族皆で頑張りました。一番頑張ったのは、母でしたが・・・・。

数年経ってから、私はカナダに戻ってきました。今は、どうぞ気持ちをしっかり持って、お母さんとご自身のために日本で過ごして下さい。これからトピ主さんとご家族も大変だと思いますが、頑張って下さいね。お母さんの快復を心よりお祈り申し上げます。  
Res.4 by 無回答 from バンクーバー 2006/01/11 20:42:20

お母様の話を聞いてとても胸がしめつけられます。
実は私の父も私が小学校6年時に癌で亡くなり、発見した時にはすでに末期で余命半年でした。

トピ主さんとひとつだけ違っていることは、父に告知がされなかったことです。彼に退院することが出来ると希望を持たせてあげたかった母の願いからでした。

父は頑張って余命より半年以上長く生き抜きましたが、彼に告知しなかったことはとても後悔しています。
歩けていたうちに父はやりたかった事や、しなくてはならなかった事があったのではと思います。うそを突き通してしまった事に、謝罪の気持ちでいっぱいです。

トピ主さんも死への心の準備はとても辛いと思いますが、一番辛いのはお母様だと思うので、頑張って強く、そして温かく出来る限り一緒に過ごす事が一番良いと思います。
歩けるうち、話せるうちに一緒に色んなことを聞いて、話して濃い時間を過ごすべきだと思います。彼女に少しでも元気を分け与えて思い残すことのないように家族みんなで支えてあげましょう。

 
Res.5 by 無回答 from 無回答 2006/01/11 21:01:04

メールを見て胸が締め付けられる思いです。私はカナダ在住4年目、こちらで結婚しました。母は2003年の初め、乳癌が見つかり乳房片方摘出しました。
再発するのも時間の問題だと医者に言われ、手術後1年抗がん剤を投与しましたが、1年後の検診で新たに肺と肝臓に転移されていると言われました。

母は医療関係者でしたが、自分でありとあらゆる癌に関する文献を読み漁り、医療に頼らずに癌と闘う決意をしました。
肉と糖は癌を育てると聞き、食事は玄米と野菜と小魚類のみ。温熱療法や、ラジウム温泉に通い、どこかで自然療法の癌治療のセミナーがあると聞くと全国どこにでも聞きにでかけます。
それでも回復しているのかどうかは私にはわかりませんが、母曰く、「抗がん剤は癌細胞を痛めつけるのと同じように健康な細胞も痛めつける。健康な細胞が癌細胞より先に参ってしまった場合、癌細胞は勢いを増し、その時にはもう身体に抵抗する力がなく、医者の言う”手の施しようのない状態”までいってしまう。」のだそうです。

医療を拒否することは本当に勇気のいることだし、家族としても不安ですが、母は頑固な人なので、本人のやりたいようにやってもらっています。
年末に里帰りしてきましたが、私の戻る前の週まで10日ほど寝込んでいたそうです。首が締め付けられるように痛く、身体を動かせず、父にいざとなった時の話などをしていたと笑っていました。

メールをしているうちに私も泣けてきましたが、年に一度、里帰りするたびにカナダに戻る飛行機で涙が止まりません。いつもこれが最後じゃないかと思います。病気の本人が一番つらいですが、そばで見ていて残される家族も本当につらいですよね。私は、自分が幸せになることが母にとっても幸せなことだと自分に言い聞かせて結婚しました。母も私を応援してくれていますが、電話をする度に「私にはあまり時間がないんだから早く孫の顔を見せて。今ならまだカナダまで助けに行けるから。」と言われるたびに泣きそうになります。

長くなりましたが、お母さんもトピ主さんも後悔をなるべくしないように、一緒に楽しい時間を過ごしてください。
仕事ならきっとまた見つかりますよ!  
Res.6 by 無回答 from 無回答 2006/01/11 21:17:35

私も似たような経験を最近しました。
12月に祖母が他界しました。私はそのことを家族から聞かされるまで、正直祖母のことは忘れてカナダで生活していました。でも、事実を知り、死に目に間に合わないまでも、ちゃんと直接送り出してあげることが出来なかったこと、もう会いたくても絶対に会えないことを考えたら、祖母のことを忘れて生活してきた自分が本当に嫌になり、後悔の念に囚われ続けています。。

仕事はまたきっと見つかります。留学する機会もきっとまた作ることが出来ます。でも、お母様が亡くなられたら、一生会うことはできません。どうか、お母様を元気づけてあげて、素敵な時間を共に過ごしてあげてください。辛い選択だと思いますが、トビ主さん、お母様双方に後悔のない時間の過ごし方になることを願っています。  
Res.7 by 無回答 from バンクーバー 2006/01/11 21:23:38

国立ガンセンターよりも癌研の方が良い先生が多いです。  
Res.8 by a japanese girl from オタワ 2006/01/11 21:28:22

皆さん本当に暖かい言葉をありがとうございます。
実は今ワーホリビザで、先月長年付き合っていたカナダ人と結婚しました。ここは本当に小さい街(オタワの近くです)で仕事を探すのも2ヶ月ぐらいかかりました。
私に出来ることは母親の傍にいてあげることなんですよね。。。

母親は手紙をしょっちゅう送ってくれるのですが、その内容も私が結婚して本当に幸せなこと、二人がどうしたらこれからも仲良くしていけるかなどのアドバイスばかりで、いつも泣いています。「天国で会おうね。お母さんはもう子宮と卵巣をとってるから、天国でも子どもは産めないと思うから。孫が見れなかったのは本当に残念だったわ。」
本当は自分が一番つらいはずなのに。。。自分の余命を知りながら生きるのってどんな気持ちなのか。。。私なら自分で命を絶ってしまうかもしれません。

皆大変ね〜なんて言っても実際自分の母親がガンになって同じ身にならないと家族の気持ちなんてわかんない!なんて心の中で思っちゃって。。。でもこうやって同じ状況にいる人たちの言葉は身にしみます。私はそのような家族の人たちとどのような方法でもいいのでコンタクトをとりたいと思っていますが、どなたか会やHPを知っていますか?(私は一人っ子で、しかも父親は本当に無口、親戚とも交流ゼロなんです。。。)  
Res.9 by 医療者 from バンクーバー 2006/01/11 21:45:47

 読ませていただいて、私は医療者とし今まで何人もの患者さんをみてきました。実際自分も父を突然死というくらい急に亡くなった経験もあります。つらいと思いますが、余命はあくまでも判断であり、絶対ではありません。言われてからも奇跡は起こるんです。
 家族の力が特に大きいんです。精神的に患者さんに伝わるみたいで、何人もの方が余命よりも長く過ごされてました。家族の方の献身さが、すごく伝わった方が多かったです。
 ご結婚されて、仕事も見つかったところでしょうが、今はそばにいてあげてください。きっとお母さんはうれしいし、頑張れるはずです。
トビ主さんのコメント読んでいて、あなたならまた前に進めます。お母さんは、今も一日一日を前向きに生きています。終わりなんて感じません。転移がかなりの範囲にされてるので、いろいろと症状はでてきますが、一番の薬はあなたがそばにいることだと思います。
がんばってください!!!  
Res.10 by from 日本 2006/01/11 21:45:48

あの、昔テレビで個人の開業医の平岩医師の話を聞いたことがあります。
何でも、その先生は、もう医大などで、治療不可能と宣告された患者さんたちに抗がん剤治療をして沢山の実績を持っている方らしいです。でも、その先生の病院はベッド数が少なく他の病院のベッドをつかったり、末期の患者さんでも通院させたりして治療をしているみたいです。
もし、お母さんに最後まで癌と戦ってほしい又は、生きたいと言う強い意志があるならば、一度話を聞いてみるのもいいのではないでしょうか?
危険も大きいみたいなので、他人の私が詳しいことをお話しすることも出来ませんが、苗字を頼りに調べてみてください。

お辛いでしょうががんばってください。  
Res.11 by from バンクーバー 2006/01/11 22:58:17

トピ主さんが気になったので、再度ここを覗いてみました。

>私はそのような家族の人たちとどのような方法でもいいのでコンタクトをとりたいと思っていますが、どなたか会やHPを知っていますか?

http://www.hospice.jp/oyakudati/denwasoudan.html
上記のようなサイトは、たくさんあります。ご自身の実家の近くにもターミナルケア関係の電話相談所はあると思いますよ。「緩和ケア」などのキーワードでネット検索してみて下さいね。

トピ主さんのお母さんは、通院治療ですよね。私の母は、最終的に緩和ケア病棟で過ごしました。結果的に、母も精神的に安定した日々を送れたと思います。一般病棟より面会時間等の規則が厳しくなかったので、いつも私達は母と一緒でした。看護師も、担当患者数が少ないので、非常に丁寧に面倒をみてくれました。

お父さんが無口だと言うこと、私の父もそうです。医師とのインフォームド・コンセントの際も、はっきり意見を言えなかったりしたので、私が父の代わりに治療の疑問とかは尋ねました。ですから看病の傍らで、たくさんの医療の本は当時読みました。そうすることで、自分を奮い立たせた部分もあったのかもしれません。癌患者の家族の立場で書かれた本もたくさん出版されていますので、看護の参考になりますよ。

ご主人とも暫く離れて生活することになるのでしょうか?私は当時は未婚でしたが、カナダにボーイフレンドを残してきました。とても寂しいでしょうが、ぐっと耐えて前向きに生活して下さいね。

>自分の余命を知りながら生きるのってどんな気持ちなのか
本当に辛いと思います。母も、一時は非常に「死」を怖がって、毎晩眠れませんでした。亡くなる数週間前に看護師に「もう死ぬの怖くなくなったよ。」と話していたそうです。母が逝った後、医師が「家族に囲まれ精神的に安定したから延命につながり、死を安らかな気持ちで迎える準備が出来たんだね。」と話してくれました。泣きたい時は、一緒にお母さんと泣いて下さいね。
 
Res.12 by すぐ帰国せよ! from バンクーバー 2006/01/12 00:02:09

 ぼくも母を20の時に無くしています。 トピ主の母さんと
同じ様な多発性の癌でした。 自分の成長した姿を見せる事
が一番お親孝行だと思い、将来のビジョン(海外でボランティアをする事)を熱くかたりました。 幼い頃の自分にはそれ位しか出来ませんでしたが、母は喜んでました。

トピ主さんは今すぐ帰国して自分の成長した姿をお母さんに
見せてあげて下さい。 時間とお金が許すなら旦那さんも一緒の
方が良いと思います。
   
Res.13 by 無回答 from 無回答 2006/01/12 02:32:58


>将来のビジョン(海外でボランティアをする事)を熱くかたりました。 幼い頃の自分にはそれ位しか出来ませんでしたが、母は喜んでました<。

金銭の成功ではなく、他人の為の奉仕精神を喜んでくださるなんて、本当に優しく、素晴らしいお母様ですね。  
Res.14 by a japanese girl from オタワ 2006/01/12 08:05:32

だんなは時間的にも金銭的にも日本には一緒に来れないんです。母が亡くなり葬式になっても来れないでしょう。。。

私が日本に行った際、父親は夜中の仕事で母が寝た後、私一人ぼっちになってしまうんですよね。それが一番辛い。誰かがそばにいて支えてくれたり、愚痴を聞いてくれたりしてくれればと思ってしまいます。せめて兄弟、姉妹さえいれば。。。

今日メールを確認したら、母親から「新しい仕事に付いたばかりなんだって?ごめんよ 56の人がおいおいと泣いてね みっともない 忘れてね」って。。。

朝から泣いちゃった。。でも私は素直になれず、母の前では泣いたことが無いんです。せめて母の娘に生まれて良かったと伝えてあげたい。。。
 
Res.15 by 無回答 from 無回答 2006/01/12 09:07:34


トピさん、今すぐに伝えてあげてください。「おかあさん、ありがとう」って、明日でもなく、日本に帰ってからでもなく、今伝えてあげてください。お願いします。  
Res.16 by from バンクーバー 2006/01/12 10:26:46

トピ主さんのお気持ちよく分かります。私も大切な人が、癌でこの世を去りました。彼女は、まだ40歳でした。癌が見つかった時、もう既に手遅れでした。手術も出来ませんでした。その時の余命宣告は、数ヶ月。長くて半年でした。それでも、彼女は精一杯生きました。戦いました。2年半、命が延びたのです。

私も遠い事を理由に、あまり頻繁には看病に行きませんでした。変わり果てた彼女を見るのが辛かったのです。しかし、もうあと1週間だろう・・・と言う時、彼女の看病に行きました。

看病に行くと彼女が、私に「仕事はどう?体は、大丈夫?」と最後の力を振り絞って聞くのです。この時私は、自分を恥ずかしく思いました。自分を恥じました。健康で不自由なく、仕事を持って、生活している私は、自分のことしか考えていなかったのです。今もうあと何日かの命の人が、死に逝く人が、他人を思いやる気持ちがあるのです。彼女は、どんなに辛くても、苦しくても、意識が朦朧としていても、「ありがとうね」と言い続けて、この世を去りました。

とっても厳しいですが、トピ主さんは、お母さんの事を本当に考えてあげているのでしょうか?それとも、自分が大切なのでしょうか?お母さんの元へ行く事に対して、「せっかく見つけた仕事を辞めなければいけない。2ヶ月もかかったのに・・・」とか、「看病した後、夜一人ぼっちになってしまう。それが一番辛い」とか・・・。

本当にそれが一番辛いのでしょうか?もう2度と母親と会えなくなる事が、一番辛い事ではないですか?お母さんが、死の恐怖から、貴方に頼っているのに、「新しい仕事に付いたばかりなんだって?ごめんよ 56の人がおいおいと泣いてね みっともない 忘れてね」と貴方の事を考えているのですよ。

死を覚悟し、恐怖におののいている母親のはずが、貴方の事を気遣う心を持っているのですよ。お母さんは、自分を後回しにして、貴方の気持ちを考えているのですよ。

貴方は、どうなのでしょうか?お母さんの事を本当に思っているのでしょうか?自分の事は、あとにして、お母さんの立場に立って、少し考えて見て下さい。一番辛いのは、誰でしょうか?一番心細く、誰かに支えて貰いたい、誰かと一緒に居たいと思っている人は、一体誰ですか?

この世を去ったら、2度と会えないですよ。私は、突然人を亡くした事もあります。元気だった人が、突然何の予告もなく、この世を去る事もあるのです。その方は何も言い残す事無く、また周りの方も伝えていない事がいっぱい会ったのに、お別れになってしまったのです。

貴方は、まだ幸せです。お母さんと残っている時間を一緒に過ごせるのです。亡くなってから、後悔しないように、残りの時間をお母さんと過ごして下さい。今ならまだ親孝行が、出来ますよ。死んだら、出来ませんよ。

サポート グループなどに参加して、貴方の不安な心を支えて貰って下さいい。そしてお母さんの前では、自分の事は後回しに、お母さんが持っている残りの時間を全て、お母さんに捧げて下さい。

自分にどんな事があっても、自分の事は後回しに、娘の事を一番に考えて来た素晴らしいお母さんですね。今度は、貴方の番ですよ。頑張って下さい。


 
Res.17 by 名無し。 from バンクーバー 2006/01/12 15:22:27


レス16さんへ

お言葉、胸に刺さりました。でも、ありがとう。母親って、本当にありがたいですね。いかに母親の大きく暖かな羽の下で、育ててもらっていたかが身に沁みます。(涙)  
Res.18 by Tomoko from バンクーバー 2006/01/12 15:25:07


海の中に母がいる。母の愛は海より深しですね。  
Res.19 by 無回答 from バンクーバー 2006/01/12 23:05:46

やだ、何だか泣けてきちゃったよ。  
Res.20 by Jun from 日本 2006/01/13 00:28:48

私の母も癌と戦っています。このトピックを見たときは目が釘付けになり、皆さんが書いたものをみながら涙がとまりませんでした。同じような状況の方もいてびっくりです。私もカナダに恋人がいます。結婚も考えています。でも母のことを思うと日本を離れるのはつらいです。母は私のことを待っていたら(よくなるのを)いつまでたってもお嫁にいけないよ、というのですが、それはできません。

今日は抗がん剤を投与してきたのですが、マーカー値(癌の進行度を示すものらしいです)がどんどんあがっているそうです。ということは、抗がん剤は効いていないってことみたいです。もう半年以上も投与を続けている母は、副作用で髪は抜けてしまって、顔も体もしわしわです。痩せてきてしまったし。そんな母を見ると泣けてきます。親孝行してこなかった自分が情けなくなります。でも母の前では泣けません。つらいのは泣きたいのは母のほうなのですから。

いま病院を変えようかと思っているところです。 どこか東京界隈で免疫療法と西洋医学の療法を取り入れてくれるところはないかと思っています。
免疫をあげないと! 食事には海草、きのこ類を取り入れるようにしています。 とび主さん、あきらめないでくださいね。私も母のことはげましながら情報集めています。つらかったらいつでもここに書き込みしてくださいね。このトピックのレスは暖かい言葉でいっぱいで、私もはげまされましたから。  
Res.21 by fw from バンクーバー 2006/01/13 01:39:22

↑親孝行って言うのは気づかない内にしてるものだよ!
Junさんの文章からは母親に対する愛情が凄く感じられます、
きっとお母さんは喜んでるよ。

ところで、アガリクスやプロポリスとかってガンに効くって聞きますけどどうなんでしょうか??  
Res.22 by from バンクーバー 2006/01/13 11:11:02

Junさんのお母様は、幸せだと思います。

自分の結婚を後回しにしても、お母さんの事を考えてあげ、お母さんが辛いとき、悲しい時、そばに居てあげ、一緒に癌と言う戦いの道を歩んでいる。これは、りっぱな親孝行ですよ。

お母さんの最大の喜びは、貴方がこの世に命を頂き、産まれてきてくれた事です。その産んでくれたお母さんに、感謝をして、自分が辛い時、いつも傍で支えてくれたように、今度は自分がお母さんを支えて行ってあげて下さい。

人間ですから辛くなると思います。愚痴をこぼしたくなると思います。泣きたくなると思います。それでも、自分の感情をこらえ、一番大変なお母さんの気持ちを察する事が出来るJunさんは、素晴らしいと思います。お母さんの沢山の愛を受けて、育って来たのでしょうね。そんなお母さんを持つ貴方は、幸せですね。

看病、頑張って下さい。



 
Res.23 by Jun from 日本 2006/01/14 07:27:36

私のトビではないのに、コメントくださってありがとうございます。

fw さんありがとうございます。でも、そのあたりのことは調べたんですけれどね、どれもちゃんとした臨床データがないんですよね。そして医者から、個人的な免疫療法は一緒にやらないように、って言われているんですよ。責任もちませんなどと言われてしまったら、怖くてできないんです。なので、西洋医学と東洋医学の両方のよいところをとりいれながら、治療してくれる先生がいないかなーって探しています。

愛さん、またまた泣けてしまったじゃないですかー。愛さんの言葉は心にしみます。 私はそんなにできた娘じゃない、母に苦労ばかりかけさせてきました。母はまだ寝たきりというほどではないので、家事をやったり身近の手伝い、そして話相手になりながら支えていくつもりです。もちろん腫瘍が小さくなることを望みながら。

a Japnaese girl さん、本当に一日も早く帰国してあげてください。ご主人と離れるのは寂しいと思いますが、今しかできないことをしてあげてください。私は母のそばにいられるだけいてあげようと思っています。一緒にがんばりましょう!  
Res.24 by お茶一杯 from オタワ 2006/01/15 20:27:01

私の親についてですが書かせてもらいます。
私は親から体罰、精神的虐待を受けてきました。
若いころ過食症、神経症になって苦しみました。
こっちに来てカウンセリングを受けたり、
夫の理解を得て、やっと幸せをつかめましたが、
今も鬱病の治療を受けています。抗鬱剤なしに生きていけません。
親とは絶縁状態が続いています。
昨年父が亡くなりました。葬儀すべてが終わってから、親族が連絡をくれました。なくなった日、お墓の場所も知りません。教えてもらえませんでした。
母親は末期癌です。それでも帰りたくないです。
暖かな愛情に包まれて育った方なら、今すぐにでも飛んで帰るでしょう。私は帰ることが出来ません。日本に帰る事を考えるだけで、
恐ろしいんです。吐き気がします。
幸せな思い出なんて、一つもありません。
自分は冷血人間なんだろうかとも思います。

ごめんなさい。親の事を心から心配して、思いやれる人が本当に
羨ましいです。そんな親が欲しかった。
親が死んでも、これからもずっと、自分が得られなかった家族を
諦めきれずに、怒り悲しみの感情を引きずって生きていかなきゃ
いけない。

愛する人の元に帰りたいなら帰りましょう。
そして最期を看取って、その瞬間を共に悲しめるなら悲しんだほうがいいんです。そしてその最期の一瞬を心に深く刻み込めるじゃないですか。

私にはそれすら出来ません。
最期を分かち合えるお母さんに心からありがとうって伝えてあげてくださいね。
親と死別して悲しめるあなたが本当に羨ましい。

 
Res.25 by ai from バンクーバー 2006/01/15 20:42:54

家の母がいっつも言っていました。癌になったら丸山ワクチンと。医者はお金にならないので使いたがらないらしいのですが、ぜったい聞いて周ったら使用してくれる病院があるかもしれないので、あたってみてはどうでしょうか?あと、家族の愛で奇跡が起こるかもしれない。  
Res.26 by なお from バンクーバー 2006/01/16 15:04:08

私の経験から。私は家族(祖父母・父)を相次いで癌で失いました。そして今、母が癌です。でも諦めていません、絶対助けてあげると約束しました。癌は転移していましたが、ありとあらゆるものを試し、今術後6年がたち、元気です。今、私はカナダに来ているので本は母や、友人に貸しているので定かではないですが、かすかな記憶を頼りに書きます。 『癌患者学』柳原和子著や、『癌を治す大辞典』帯津良一著(バンクーバーのBook offにもありましたよ)を探してみてください、そこに答えがあります。
 母にはAHCC・アガリクス・霊芝・プロポリス・MMKヨード(東京・池袋の医院で手に入ります)・帯津医院での漢方薬・玄米を中心の食事療法をさせています。鮫の肝油・鮫軟骨(粉)Q1・・・思いつく物は何でもやり、たいていの癌センターへ行きました。
病院をむやみに替えない、なんて言ってられませんでした。助けてくれる医者を捜しました。大丈夫ですよと言って欲しかったからです。でもどこでも西洋医学では治せないと言われました。医者は万能ではないし、亡くなっても「ご愁傷様でした」で終わってしまうのです。それより自分で助かる方法を探すのです。何かあるはずです、それさえ見つけられたら助かります。それは人によって違います、私の母に合うのが皆さんの誰かに合うとは限らないので。でも諦めずに、愛するその人のために探してください。これは、ほとんどの医師が否定する代替療法のエリアです。高価な物には注意した方が良いです。
 個人的にはビワのは療法や・ビワのみを食べることなど、自然の物を取り入れるのも良いと思いますよ。ビタミン17は、免疫力を高めます。何が効いてるかわからないけれど、必死で何でも試しました。
 ヨガや気功呼吸法でずいぶんと精神的にも楽になります、どうか諦めずにTRYしてみてください。
 ざっと読んだので詳しく掛けませんが、丸山ワクチンは父に使用しましたが効果はありません江下。癌にも場所や、タイプいろいろですので。最近友人の父親が肺癌で手術は無理と言われましたが、私が推薦した病院で治療を受け今のところ癌は小さくなってきていると言われたそうです。それを受け入れるか否かはあなた自身の判断です。
可能性を探ってみてください。Good luck!  
Res.27 by 。。。 from バンクーバー 2006/01/16 20:09:52

レス24さん、

私も、虐待されて育った子供です。

>幸せな思い出なんて、一つもありません。

私もこんな風に思って生きてきました。
実際にそうだったから。

でもね。。。

>親の事を心から心配して、思いやれる人が本当に 羨ましいです。そ>んな親が欲しかった。
>親が死んでも、これからもずっと、自分が得られなかった家族を
>諦めきれずに、怒り悲しみの感情を引きずって生きていかなきゃ
>いけない。

人を羨んで、自分の過去を卑下していても、自分の大切な今の人生がだいなしになっていくだけ。もったいないよ。

私はようやくこの年(35)になって、全てを受け入れることができるようになりました。
私は生い立ちにも恵まれず、結婚しても、生まれた子供が重度の障害児だったために旦那に逃げられ、ようやく和解した母親も急死。。。なっどというユニークな人生を歩んでいますが、人と違う自分の人生に感謝することができるようになりました。苦労なんかない方がいいのでしょうが、それらのいろいろな苦労から得るもの、学ぶものも多いです。


「怒り悲しみの感情を引きずって生きていかなきゃいけない。」と決め付けているのは、あなた本人です。ご両親や過去は変えられないけど、あなたの感情をコントロールしているのは、他にもないあなた自身です。私もカウンセラーや精神科などをまわり、自分でも自己啓発の本を読みあさり、瞑想などのマインドコントロールなどなど。。。いろいろと努力してきました。

怒りと悲しみをずっと引きずっていかなくてもいい生き方もあります。それは、自分自身が選択して決めることなんですよ。

いつか、「お茶一杯さん」が、全てを許し、感謝することができれば。。。と思います。



 
Res.28 by 無回答 from 無回答 2006/01/16 23:16:00

トビ主さん。少しキツイようですが、あなたがここで自分のことばかりを考え迷っている間にも、お母さんの癌は進行しているのですよ。
ここで多くの方が言っているように、一番辛いのはお母さんなんです。「せめて兄弟、姉妹さえいれば。。。 」とあなたが言っているように、お母さんは「せめて娘がそばにいれば・・・」と毎日、心細さで泣いていることだと思います。
もし、このトビがネタでなく本当の話なら、こんな所でいつまでも書き込みしてる場合じゃないですよ!
あなたは若いのだから、仕事はまた必ず見つかります。彼氏もあなたを愛しているのなら、何年だって待ってくれます。今は便利でインターネットで毎日でも彼氏と話すことだってできます。
今日でも明日でもとにかく一番早く帰れるチケットを手配して、すぐに飛行機に乗ってください。
そして、日本からこの掲示板でここにいる皆にあなたの辛さや悲しみ、心細さを思いっきり書いてください。きっと皆が、暖かくいつでも聞いてくれるはずです。  
Res.29 by 無回答 from 無回答 2006/01/16 23:50:42

Res.28さん

レスちゃんと読まれているのでしょうか?このトピが立ったのは11日で、トピ主さんがレスされたのは12日が最後です。もしかしたら、もう日本かもしれません。それに彼氏じゃなくて、先月ご結婚されたばかりです。
せめて兄弟、姉妹さえいれば・・・と嘆かれる気持ちも私にはよくわかります。私の母も癌ですが、いざとなった時には兄が面倒を見てくれる覚悟でいてくれてますから、精神的に兄弟に甘えられる部分って大きいです。
1人っ子で若くして母親の生死をつきつけられるのって本当に残酷です。
1人で抱え込むなんて絶対に無理があります。サポート団体やご友人達に支えてもらえることを本当に祈っています。  
Res.30 by 無回答 from 無回答 2006/01/17 00:07:24

a japanese girlさん。一人でお母さんの看病をするのが心細い気持ちをお察しします。
もう一度旦那様と一緒に日本へ帰国する事を相談されてみてはどうでしょうか?旦那様の仕事や金銭面など、頭を抱えてしまう問題はありますが、やはり夫婦として一番辛い時に側で支えあうのが良いと思います。夫婦の絆も深まると思います。
同じような親族の病気で、旦那様・奥様のパートナーの方が一緒に国へ帰国されたという話をいくつか知っています。パートナーの方は直接血の繋がっていない両親の為に仕事や環境を変えなければならないのですが、大事な時に夫・妻の側に居てあげて本当に良かったとみな口をそろえて言っておられました。
旦那様とよく相談してみて下さい。  
Res.31 by 無回答 from トロント 2006/01/18 10:41:08

私の母もどうやら、癌のようです。。。
検査、検査ですが、ほぼ確実なようです。
とぴさんは、日本へ帰られましたか?
とぴさんも辛いでしょうが、おかあさまも辛いはずです。
頑張りましょう!!!

どなたか、還元水が癌に効くというのをきいたことありませんか??
友達から聞いて、興味があります。
なにか還元水について知ってる事があったら、教えてください。  
Res.32 by kai from バンクーバー 2006/01/18 16:00:21

還元水って、科学的に合成された水ですよね。フランスのルルドの水のようにたぶん、活性水素が豊富に含まれているものでしょ。
 身体の中にある活性酸素と結合して水になって体外に排泄させるもでだと思います。いろいろでていますよね、私も試しました。「創世水」だったかな?字をはっきり覚えてないんですが長野県の会社から買ってました。その後、東京女子医大なんかで使われるようになってから、かなり高額になってしまったのでやめました。
 水素を発生させる「水素スティック」「水素棒」とか、ペットボトルに入れて作れる物なら1本3千円程度で買えますよ。竹炭でもいいです。詳しいことを知りたかったら、メールください。お力になれるといいのですが。   
Res.33 by 無回答 from 無回答 2006/01/18 21:16:21

母親が、癌(進行性の悪性の中の悪性腫瘍)と診断されてから命の水『摂生水』飲用しています。効いているのかは、分かりませんが、発病から2年以上経ちますが、一度小さく再発しただけで今、普通に生活しています。確か1本500ml位で5500円だったと思います。で、10本で5万円とかだったような。その人の症状によって飲む量など違ってきます。電話でこのドクター(奥さんも癌でした)が相談にのってくれます。ちなみに私は、別に関係者とかまわし者ではありませんので...まー気休めに母は飲用しています。他に何かお薦めの特効薬などの情報をお持ちの方いたら教えていただきたいです。トピ主さん、その後、いかがお過ごしですか?私は母親の癌発覚後、夫を残して一時帰国しました。そんな私に母は「会え嬉しいけどお母さんは、大丈夫、がんばるから未来の人これからの人を大切にしなさい。」と言っていました。そして術後2年、抗癌剤や放射線治療などと戦いながらまだまだ孫の成長を見ていたいとがんばっています。  
Res.34 by 無回答 from 無回答 2006/01/18 21:19:32

レス33です。すみませんたしか『蘇生水』でした。本屋さんにもこの水についての本が売っていると思います。  
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