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一九九三年(平成五年)細川首相が訪韓し、日本統治について全面的に謝罪した。私はこれに非常な疑問を感じた。疑問点は次の二点である。
1、同じ日本の統治下にあった台湾の人には、日本の統治を礼賛する人がかなりいる。台湾統治と朝鮮統治はどこが違ったのだろうか。
2、今日植民地であった世界各国が未だに発展途上国としてあえいでいるのに対し、日本が統治した台湾・朝鮮だけが先進国の仲間入りしている。それなのに、何故詫びなければならないのだろうか。
この疑問を自分なりに調べてみようと思い、國學院大學の門を叩いた。幸い入学が許され、九四年還暦の大学院生となり、九七年修士論文「データから見た日本統治下の台湾・朝鮮プラスフィリピン」を出版した。更に今日まで、聴講生として勉強を続けている。(2002年3月退学)
二〇〇〇年(平成一二年)金大中大統領が、北朝鮮を訪問し、北朝鮮との和解を求めた。それと共に日本でも北朝鮮との国交回復が話題に上るようになった。所が北朝鮮は日本にたいし、謝罪と補償を強く求めている。しかし私はこの八年の勉強の結果、益々日本は韓国・北朝鮮に謝る必要がないとの気持ちが強くなった。
そこで私の大学院生活の決算として、この本を出版することを決意した。そこで自由主義史観研究会で日韓問題について研究会を開いた時の仲間である、川上氏、荻原氏に協力を依頼したところ、快く引き受けていただいた。川上氏は朝鮮で生まれ育たれた事から、一九三五年(昭和三五年)から、終戦までの事について色々ご教示を頂いた。又荻原氏には併合前の朝鮮、三・一独立運動について色々ご教示して頂き、且つ資料を提供して頂いた。深く御礼申し上げる。
日本にも韓国にも、日本人は韓国・朝鮮の植民地支配についてまず謝るべきだと主張する人が多い。しかし私は、何故謝る必要があるのか分からない。彼らは「日本の植民地支配により塗炭の苦しみにあえいだ」という。塗炭の苦しみとは具体的に何を指すのであろうか。私は西欧の植民地からくる連想で、「日本も西欧諸国同様、現地人に圧政をしたに違いない」との錯覚をしているように思われる。
次に「日本は良いこともした」と言えば、大臣の首が飛ぶ。本当に日本は良いことをしなかったのであろうか。そんなことはない。今日の韓国の発展は日本の統治の成果である。しかし韓国の発展に日本が寄与したことを認める人も、「我々が頼んだわけではない」と言う。そこで他国の植民地支配がどのようなものであったかを合わせ考え、日本の植民地政策が極めて優れたものであった事を立証する。
今日韓国・北朝鮮にまず謝るべきだと主張する人は、日本が朝鮮を統治したことそのものが、朝鮮人を不幸にしたと考えている人が多い。ウィルソンの民族自決の提唱後、民族独立は当然の権利のごとく考えられ、コソボ、東チモール等民族紛争が絶えない。多民族が共存するコソボのような土地で、本当に異民族に支配されることが、それほど不幸なことであろうか。
明治時代、樽井藤吉は「大東合邦論」を書き、多くの人の心を掴んだ。この思想の根本は「日本と朝鮮が合邦し、清国と力を合わせて、欧米の侵略を防がなければならない」というもので、合邦の例として、イギリス、アメリカ、ドイツ等の例を挙げている。確かにイギリスはイングランド、ウェールズ、スコットランドの三国が合邦したものであり、アメリカも多くの州(ステーツ)が合邦したものである。ドイツがプロシアを中心に連合王国となったのは一八七一年である。又スイス、ベルギーでは異民族が一つの国となっている。「異民族であるからとか、永年別の国であったから合邦するのは無理だ」という考え方にはならない。
我々日本人は敗戦後アメリカの支配を受けた。アメリカは食料を援助してくれ、個人の権利の重視、民主主義の普及を計った。道徳教育の軽視等問題点はあったが、まず善政であったといって良いだろう。そのため、国を守るための武力の行使に疑問を感じ、戦争放棄の憲法は未だに改正されない。
又二千万人もの犠牲者を出したと言われる文化大革命時の中国人は、香港在住の中国人とどちらが幸せだったろうか。何千万人も粛正したスターリン支配下のソ連人、毎年のように何百万人も国民が飢餓線上に苦しむ北朝鮮国民は本当に同民族支配なるがゆえに幸せだろうか。もっともスターリンはロシア人ではなく、グルジア人である。ソビエト連邦は多民族国家であり、多くの民族共和国の連邦である。レーニンの理想主義により、各共和国は同等の権利を持ってソビエト連邦を形成した。だからこそ、グルジア人のスターリンが総統になれたのである。
マルクスは「資本家は労働者を搾取する者であり、労働者の敵」と位置づけた。同様に宗主国は植民地を搾取する存在とした。しかし現在の経営学では最大利益の追求のためには、労働者の働く意欲を引き出すことが最も必要とされている。又激化する企業間戦争を勝ち抜くためには、資本家、経営者及び労働者は同一チームの戦友である。宗主国と植民地の関係も同様であり、国の発展のためには、植民地を搾取するより、力を合わせる事が何より重要な事である。独立運動が頻発するようでは、宗主国の負担が増えるだけである。
即ち、これまでの議論の最大の欠陥は、軍事的な視点が欠けていたことである。日本が韓国を併合した最大の理由は、ロシア・ソ連による日露戦争に対する復讐戦に備えるためであった。ソ連と戦ったとき、朝鮮人民の動向は極めて重要である。日本人と共に戦ってくれれば大変な戦力になるが、ここぞとばかりに、ソ連側に立ち独立運動でもされた時には、逆に大変な戦力の減耗となる。
一九三一年(昭和六年)朝鮮総督に就任した宇垣一成は、東京銀行倶楽部の晩餐会で、次のような趣旨の講演をしている。
「第一次大戦時、外見上ドイツ、ロシアの一州となって、ドイツ、ロシアと一体化しているかに見えたポーランドが、戦争が長びき、苦しくなってくると、母国を裏切るようになった。これは外見上、一体化しているように見えても、精神的、物質的に一体化していなかった為である。朝鮮ではどうかと考えると、四年前、斉藤前総督がジュネーブ会議に出張中、余が代理総督として執務した時に比べ、世界的な恐慌のため、精神面から見ても、物質面から見ても悪くなっている。
(中略)この対策としては、内地人の仕事を少し朝鮮人に回すと共に、産業を開発して仕事を作り、朝鮮人にもっと仕事を与えなければならない。では朝鮮で起こすべき産業は何か。まずは豊富な金、鉄鉱、石炭等の鉱業資源の開発である。更に北朝鮮の森林資源、未開拓の原野、海岸線の有効利用、水力資源、豊富低廉な労働力等開発すべきものは多数ある。ただ足りないものは人の知恵と資金である。ぜひ列席の皆さんの協力をお願いする。」*1
このように軍事的な視点から見ると、日本にとって、朝鮮の内政の安定、生活レベルの向上、そしてその結果としての日本との一体感が、何より重要だったのである。
私は韓国併合を考えた場合、今日の世界的な企業の合従連衡、企業戦争との共通性を感じざるを得ない。新興企業が大企業に育つためには、赤字企業に対し業務提携(顧問の送り込み)、資本参加・買収(保護国化)、合併(併合)の手順により育つ例が多い。まさに韓国併合へ至る道と全く同じである。この場合合併された会社と一体となって初めて戦力が増加するのであり、対立していては戦力の増どころか、逆に戦力の減となる。従って一体化の過程にて、犠牲者も出るが、うまくいけば一般従業員は給料も上がり、幸福となる場合も多い。
私は支配者がどの国の人であれ、国民の生活を安定させ、差別をなくし、自由に発言できる社会をつくる事が、国民の幸せだと思っている。ただ同一民族の支配者の方が、差別が少なく、自己実現の機会が多いという希望的観測から、異民族支配より、同民族支配が望ましいと一般に考えられているのだと思う。この事は業績の良い外資系企業に勤めることと、業績の悪い日本企業に勤めることがどちらが幸せかと言う事につながる。一般的にはやはり日本企業に勤める方が良いと思う。いかに給料が良くても差別されたのでは決して幸せではない。しかし外資系でも実力を評価してくれ、きつちり処遇してくれれば、資金がないため、やりたいこともやらせてくれない日本企業に勤めるより良いのではなかろうか。
第一次世界大戦の後のパリ平和会議で、アメリカは民族自決を主張し、日本は民族差別の撤廃を主張した。今日アメリカは肌の色、言葉の違いを超え、アメリカ人として、アメリカに対する忠誠心を求めている。ようやく建前としての民族差別が解消されてきた。当時日本が主張していた五族協和が実現しつつあるのである。