「伊勢の麻、出雲の真菰」とも言いますが、伊勢神宮のしめ縄は大麻で作られていて、出雲大社のしめ縄は真菰で作られています
日本の神話と深い関わりがあるのがこの二つの植物です
まず、大麻は新しい天皇が即位する大嘗祭で使われる"神が憑依する依代となる為に織物"として献上されることで有名
簡単にいうと、大麻の茎を繊維にして織った織物が新しい天皇が即位する時にプレゼントされ、その着物に神が下りてくるということです
この、献上される織物のことを、鹿服(あらたえ)と言います
そして代々、大麻から麁服を作って献上しているのが、現在の徳島県美馬市に住む三木家の方々
彼らは阿波忌部氏(あわいんべし)の末裔と言われていて、此の地域は、「麻を植える」と書いて「麻植郡(おえぐん)」と呼ばれていました
とは言え、三木家が麁服を献上するようになってきたのは大正天皇の頃からであり、此の以前は室町時代の光明天皇まで遡ります
つまり光明天皇までの、此の間の577年間は、天皇家に、大麻から作った麁服を献上してこなかったということ
単に記録がないだけかもしれませんが、何故こんなにも長い間、麁服の献上は封印されてきたのでしょう?
三木家の方々は、古代から朝廷で祭祀としての役割を果たしていた忌部氏の末裔です
祭祀とは、神を下ろして来て政治的な助言や占いをするのが役割
最初、朝廷では此の役割を忌部氏と中臣氏が分担して請け負っていました
その中でも、天皇に関する祭りごとをする際は必ず忌部氏の祝詞(のりと)をあげることが決まりだったようです
ですが時代の流れと共に、奈良時代の頃から、忌部氏は中臣氏にその地位を奪われていき、朝廷内で衰退していき、ほぼ仕事を失ったみたいです
此の動きには勿論、この歴史上の人物、"中臣鎌足"の関係があるでしょう
のちに天皇から藤原の姓を貰い、その息子たちは奈良時代にかけて、日本を乗っ取る素晴らしい活躍をしました
日本古来の神道を知っていた忌部氏や物部氏は、彼らに葬られたと言っていいかも知れない?
それでも、最初から地方に住んでいながら天皇に貢献する役割を果たしてきたのが、阿波忌部氏のような地方の忌部氏たち
彼らは阿波以外にも居たと言われていて、"玉を納める出雲、木を納める紀伊、盾を納める讃岐、そして木綿と麻を納める役割にいたのが阿波"です
此れらの土地はおそらく、今でも日本の中で重要な役割を持っている土地でしょう
最初から天皇家のもとで支えていた忌部氏と、地方から天皇になにかを献上する形で支えてきた忌部氏がいることになりますが、非常に深いので、阿波忌部氏が此の徳島にやって来るまでの神話を紹介しでおきましょう
(以下、古事記、日本書記にまで遡ります)
アマテラスが、弟のスサノオの度が過ぎる悪戯に耐えられなくなって隠れてしまった、あの「天岩戸隠れ(いわとがくれ)」の際、思金神(おもいかねのかみ)が思いついた作戦でアマテラスを引き摺り出すのが上手くいくかどうかを占った神様に「フトダマ」と「天児屋命(あまのこやねのみこと)」、と言う二人の神様がいました
此のうち、「フトダマが忌部氏の祖」となり、「天児屋命が中臣氏の祖」になったと言われているのが一般的です
此の「フトダマが従わせていた神の一柱に、天日鷲神(あまのひわしのかみ)」と言う神様がいますが、此の天日鷲神に何で鷲という文字が付いたかと言うと、天岩戸隠れでアマテラスを呼び寄せる際、「此の神様が弦楽器を演奏していると、其の楽器の弦の先端に鷲がとまったから」なのですが、此の鷲と、のちに神武東征で神武天皇を導いた此の八咫烏(やたがらす)が同一の鳥である、と言う説があるそうです
そして、此の天日鷲神の孫が阿波の國までやって来て植えた植物が、麻だったよう
大嘗祭で使われる大麻の意味からも分かりますが、大麻には神を下ろしてくる力があると思えます
此処で思うのは、日本の地に大麻を植えてその使い方を民衆に教えていったのは、八咫烏ではないのだろうか?ということ
古来の日本人は、別に大麻を吸ってハイになっていなくても、其れを身につけておくだけで常に上と繋がれていたのかも知れません
「神を宿す、その依代となる」のが大麻なら「神を下ろしてきてもいい、浄化された環境を作る」のが真菰の役割
真菰の最大の力は、其の浄化作用にあります
水辺に植えたなら、其の周辺の水は全て綺麗な状態に濾過をするし、真菰の茎を食べたり煎じてお茶にして飲んだりすれば、體(からだ)の中も浄化されていくらしいです
稲作を始めて米を食べるようになるまで、日本人は此の真菰を主食として食べていた、とも言われていてます
何でも綺麗な元の状態に戻す事が出来る、此の真菰
誰が植えたか?と言うと、スサノオのミコトが地上に降り立ってはじめて植えたのが、此の真菰だそうです
毎年6月1日には出雲大社で、涼殿祭(すずみどののまつり)別名真菰祭というお祭りがあるようですが、下に真菰を敷き詰めて其の上を宮司が歩いていくというお祭りで、踏まれた後の真菰を持って帰ってお風呂に入れれば無病息災、田圃や畑に植えれば五穀豊穣になる、と言われているようです
あと、鏡開きとかでよく見る日本酒の周りに巻かれている縄みたいな飾りも真菰で出来ているし、昭和天皇が崩御した時には、其の棺桶の下に真菰をびっしりと敷き詰めた、という話もあります
天皇家が大事にして来たという面に於いても、大麻と真菰は日本人にとっては重要な立ち位置を占めて来ていたのではないでしょうか?
其れが今現在では、此れらの植物を、日常生活で普通に触れたり活用したりする人は殆どいないはず
此の二つの植物をもっと身近に置いておく事で僕等の力が目覚めてくるなら
試してみる価値はあるのではないのでしょうか?
ワクワクしかしませんね
GHQの占領政策とか、深く知りたい!!
皆樣
有難う御座います^_^
【天皇と大麻】
https://twitter.com/xrayspex7/status/1303592521549844480?s=21
大嘗祭の麁服(あらたえ)調進準備 三木信夫さん
(語る ひと・まち・産業)阿波忌部直系 徳島の麻文化再興訴え
2019年1月16日 12:00
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO40029440V10C19A1962M00?s=1
■阿波忌部(あわいんべ)直系の三木信夫さん(82)が11月に予定されている代替わりの皇室行事「大嘗祭(だいじょうさい)」で自身2度目となる「麁服(あらたえ)」調進に向けて準備を進める。古代から続く徳島発祥の伝統文化を発信し、地域の歴史的価値の再評価につなげようと全国で講演活動に飛び回る。
みき・のぶお 1936年徳島県美馬市で阿波忌部氏直系の三木家に生まれる。関西学院大法学部卒。90年の平成の「大嘗祭」で初めて「麁服」調進の任を果たした。国の重要文化財三木家住宅の管理者。「全国重文民家の集い」の代表幹事を務める。
「新天皇の即位関連儀式である『大嘗祭』において麻の織物『麁服』は欠かすことができない重要な品。調進とは天皇家から依頼を受けて納めることで、古代からこれができるのは阿波忌部である三木家だけだった。室町時代前半の南北朝の動乱でいったんは途絶えてしまうが、大正天皇の儀式で約580年ぶりに復活した。『大嘗祭』は日本の歴史そのものである。古代からの伝統様式をそのまま次の世代につないでいく努力が求められている」
「残念ながら『麁服』調進への関心は地元徳島よりも東京など首都圏の人の方が高い。徳島の人は天皇家の祭祀(さいし)において、この地が重要な役割を担ってきたという歴史文化を自慢してほしい。観光資源として活用するアイデアを地域で出し合うことも大切だと考える」
徳島県で最も古い三木家住宅は国の重要文化財だ
■三木家には1260年の亀山天皇の「大嘗祭」で「麁服」の調進をするように記された古文書が残る。三木家直系は「麁服」を作製し宮中に直接届けられる唯一の「御殿人(みあらかんど)」だ。三木さんは徳島に根付いてきた麻の文化や織物の技術を伝承し、再興することが地域活性化につながると訴える。
「麻を栽培する畑を整地し、春に種をまく。何度も間引きをしながら約100日で成長した麻を収穫し、茎の天日干しから煮沸、皮を剥ぐなどの工程を経て麻の繊維を紡いでいき、『麁服』が完成する。『麁服』にできる麻は気温が平地よりも3〜5度低い高地といった限られた場所でしか栽培できない。こうした繊細な技術を確実に継承していくことは今後の課題だ」
「全国でも麻を織る職人は高齢になり数が少なくなっている。徳島の工業系の高校などでこの技術を教える課程を作ってもらえれば若い人に着実に受け継いでもらえると思っている」
「麻は法律で栽培が制限されていることもあり、管理も大変だ。私が担当した前回(の『大嘗祭』)は麻を育てる畑を24時間警備しなければならなかった。こうした人件費を含めて『麁服』調進にかかる費用は数千万円になる。徳島の企業や人に広く寄付を募っており、これが地元の関心が高まるきっかけになればと期待している」
■現在の吉野川市は麻を植える地域に由来する「麻植(おえ)郡」という名称だった。徳島の麻文化再興に向けて「麻植」の地名復活を提唱する。
「2004年に4町村合併で『麻植郡』が消滅した。これを後悔する人たちも増えている。兵庫県の篠山市が丹波篠山市への変更を問う住民投票が賛成多数で成立した例もある。麻農業が誇れる文化だと地域住民に浸透していけば、自然と地名を変えようという動きにつながってくるのではないかと期待している」
《一言メモ》築400年の古民家守る
築400年以上の徳島県最古の民家である三木家は剣山のふもと、木屋平にある。美馬市中心部から細い山道を車で約40分かかってたどり着く。かやぶき屋根の国指定重要文化財の古民家に三木信夫さんは実際に住み維持管理をしている。
近くかやぶき屋根の葺(ふ)き替えを予定しているが、費用は数千万円にもおよぶ。その費用の一部には国や県から補助金が出るものの、三木さんの個人負担も大きいという。
「この地域の歴史と伝統文化を1人でも多くの人に知ってほしい」と麻文化の発信に奔走する三木さんの思いは「麁服」を後世につなぐこと。現在大学生の孫が後継者となる予定だが、併設する資料館への来館者を増やす取り組みなどと合わせ、継続して地域全体で支える仕組みを作る必要性が今後高まりそうだ。
(徳島支局 長谷川岳志)
徳島県麻植郡
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E6%A4%8D%E9%83%A1
朝日新聞より
大嘗祭で献上、麁服に使う麻の種まき 桜満開の徳島で
福家司
2019年4月9日14時19分
https://www.google.com/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASM493DJDM49PUTB007.html
なぜ日本は「アンチ大麻」になったのか――“解禁”されたアメリカとの大きな違い
https://bunshun.jp/articles/amp/15487?page=1
とは言え、取り敢えずは通貨でしょうが…