書き込み大変ありがとうございます。
著者の本の宣伝のようになってしまうのですが、原発は火力より高い
http://www.amazon.co.jp/dp/4002708802
という本があります。宣伝をしているつもりではないのですが、情報の一つとして、捉えて頂ければ幸いです。
そして、電気の質 というのは、
この電気が何から作られたのか、消費者が把握し、選択利用出来るようにします。
例えば、この電気は安くても、原子力や火力から作られた物だから買わない、もしくは、自然エネルギーから作られたものなので高くても買おう などです。
事故が発生した場合、その処理の費用は、国民からではなく、今まで買っていた消費者(誰が買っていたかを特定出来るので)を中心にまず負担が(これは極論かもしれないのですが)(例えば保険のように 事故が起きなければ何もないが事故が起きた場合に高かったとしても保険に入っていたほうがお得 のように)
そうする事で、消費者自身も、今までは、ただ何も考えず、与えられていた物を電気を使わないわけにはいかないので、消費していた習慣を、
使う度に、どうしたら得か? どうしたら自分の思う通りに出来るのか、選択出来る機会が毎回与えられる事で、一人一人が、何かを考える機会がある為に、考えずにそのままただ与えられていた場合よりも、賢くなる事が出来、社会としても、高度に発展して行けるのではないかと思います…。
原発反対派としては、原発推進派が存在してしまう事は、仕方ないとする ならば、問題があった時の責任は、せめて推進して安い(?色々考えると安くはないのですが…)と利用していた人だけでも、負担や責任が大きくなるようにしなければ、公平ではなく、反対していた人達の苦労も報われないのではないかと思います。原発の存続も、トップが、右か左か、反対、賛成がある中、一方的に決めてしまうのではなく、市場の原理に任せられるような仕組みにしてもいいのではないかと思います。今は、市場の原理に従って、原発が競争に勝ったわけでもなんでもないにも関わらず、電力会社が、競争のない、独占企業として、ぬるま湯の中存続している為に、あたかも、原発は、価格が安く、競争に勝った 選択する事が有益なエネルギーである。 と思わせられていると思います。そんな中でも、反対していた人達含め全員に負担が押し寄せています。それは、おかしいと思います。その為に納得出来ない人が大勢存在してしまうのだと思います。各地で行われる原発反対の運動へのエネルギーが、他のエネルギーに使われたとするならば、どれだけ生産的で価値のある物が生まれるでしょうか?反対するエネルギーなど、本来ならば、使わなくて良いエネルギーを傾ける事であり、どれだけ非効率なエネルギーが日々生まれているか知れません。今と今までのシステムそのものが、悪いのだと思います。
そんな発送電分離、電気を選択なんて無理だ! と思う方も多いかもしれないのですが、物事はまず、願わない事には何も始まりません。理想を掲げず、これが一番手っ取り早いからと、理想のレベルを下げていたとするならば、いつまで経っても、その低いレベル以上の理想には、永遠に近付けません。目標を高く設定する事で、それが叶わなかったとしても、10設定して、8になれば、始めから7にしか設定しなかったよりも高い目標に到達出来ます。永遠に近づけない事と、もしかしたらとでは大きく違います。やらなければ、絶対に無理であるが、やればもしかしたら出来るかもしれないのです。重要な事は、想像力やアイディアに、限界を設けない事なのではないかと思います。
反対や、相殺してしまう事にエネルギーを傾けるよりも、次の新しい物事を生み出して行く事にエネルギーを傾けて行きたいものです。
ご興味を持って頂き、ありがとうございます。