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No.22588
●親に2度も殺されかけた 虐待2000日、女性社長の壮絶人生
by 無回答 from 無回答 2012/04/06 20:37:04


Res.1 by 無回答 from バンクーバー 2012/04/06 20:40:53

 両親からの虐待、父親の自殺、自閉症児の子育て、認知症の義父の介護…。人生の荒波に次々と遭遇し乗り越えてきた女性が、虐待のない社会を目指して講演活動を始め、壮絶な内容に驚きと共感の輪が広がっている。大阪市中央区でビデオ制作会社を経営する島田妙子さん(40)。虐待の記憶の封印を解いたのは、1つ違いの兄の死だった。「人の役に立ちたい」と願いながら逝った兄の遺志を受け、「虐待をしてしまう大人を助けたい」と、講演で“心の救済”を呼びかけている。


■「やさしかった父、おかしくなっていった」


 「わたしはこれまでの人生で2度、命を落としかけました」

 大阪府高槻市の富田ふれあい文化センターで、3月17日開かれた講演会。島田さんがこう切り出すと、補助椅子(いす)まで埋めつくした約150人の聴衆が息をのんだ。

 3人兄妹の末っ子で長女の島田さんは、小学2年から中学2年までの約6年間、実父と継母から靴べらで殴られたり、包丁を突きつけられたりといった虐待を「ごはんを食べるのと同じように、毎日受けた」。

 小学3年の冬、酒に酔った父親に包丁で脅された上、風呂の湯の中に何度も何度も顔を押しつけられ、窒息死しそうになった。中学2年の時には、家に保管していた町内の自治会費を盗んだと継母にぬれぎぬを着せられ、父親に首を絞められた。

 「風呂で死にそうになったとき、父は継母に向かって『これで気がすんだか』と叫んだ。父はやさしかったが、毎日毎日継母に(わたしたち連れ子のことを)うるさく言われ、おかしくなっていました」

 亡くなった2番目の兄は小学校の修学旅行の出発日、ふとんごとロープでぐるぐる巻きにされ、旅行を断念されられた。当時パチンコ通いをしていた継母が、返還される旅行費用ほしさにした行為だった。兄妹3人そろって車で児童相談所の前まで連れて行かれ、「『あそこに行ってこい』とポイ捨てされた」こともあった。


■立ちはだかってくれた教師


 「『虐待してるでしょ。言い訳は許しません』。中学2年のとき、担任の女性の先生が両親を呼びつけて、そう言ってくれました」

 ガリガリにやせて体はあざだらけ。そんな島田さんを見て、この担任ら3人の教諭が立ち上がった。

 一番上の兄がガラスの灰皿で父に殴られ、大けがした翌日、島田さんは家を出た。「何かあったら電話しろよ」と、事前に渡されていた10円玉10枚を使って、教諭の1人に連絡。そして「虐待の日々は一瞬で終わった」。

 島田さんはその後、養護施設で暮らし、中学卒業後は兵庫県内の工場で働いた。この間、両親は離婚し、間もなく父は自殺を図った。「父の自殺の理由は分からない。でも、その直前『悪かったごめんな。妙子のことは大好きやった』と電話してきた。わたしもお父ちゃんのことは大好きだった」

 島田さんは19歳で、小学校や幼稚園の卒業式などの映像制作会社に転職。22歳で結婚して3人の子供(娘2人と息子)を産み、33歳で認知症の義父と車いす生活の義母を介護することになった。

 「息子は自閉症で、幼いころ、よくパニックを起こしました。義父は足達者な認知症でよく出歩き、義母は口達者だけれど車いすの生活。子供と義父がけんかになり、そこに義母がからんでくると、それはもう…」

 何でも体験しようと進んで介護を引き受けた島田さんだったが、心のどこかで「自分だけがしんどい目をして」とも思っていた。そんな緊張の糸が、ある日切れた。「よい子でいることを無意識のうちに求めていた娘のうち1人がまつげを抜く異常な行動をしていているのを見て、娘に負担をかけていたのだと気付き涙があふれた。子供のように『ウワァー』と号泣してしまいました」

 認知症を心の中でばかにし、息子に対しては「きょうはパニックやめてね」と思ってしまっていた。号泣する島田さんを見て、義母は「あんたがそんなになるなんて」とつぶやき、義父と息子は圧倒され、何かを感じ取っていた。

 「これで楽になった。この日を境に義父はおだやかに、息子のパニックもなくなりました」

■「小兄」の死が転機に


 仕事と家事に打ち込み、虐待体験を封印し続けてきた人生の転機は、「平成22年12月。いつもわたしを守ってくれた、我慢強い2番目の兄『小兄(しょうにい)』の死でした」。

 急性骨髄性白血病。骨髄移植しか治療の道がないと分かり、島田さんは迷うことなく提供。再度の移植が必要になった際には、兄の娘が提供し、白血病は直った。しかし、治療に伴う負担が原因で、結局肺炎で死亡した。40歳だった。

 「ともに虐待を耐え、普通の兄妹とは比べものにならない、かけがえのない存在。小兄が亡くなったらわたしはもう頑張れない。そう思っていました」

 だが、死の直後、医師に知らされた事実で思いは変わった。「人の役に立ちたい」といい続けていた兄は、自分の体を新薬開発など医学の発展に役立ててもらうため「献体」を申し出ていた。虐待のニュースが流れると、いつもメールで連絡してきて「何か役立てないか」と悔しがっていた兄だった。

 「人の役に立つため、自分も、できることは全部やろう」。島田さんは「まっすぐに生きていれば何事も乗り越えられる」のメッセージを込め、自分の半生を一気につづった。昨年9月に出版された本(「e love slime」、パレード発行)は、その壮絶な内容が反響を広げ、すぐに講演依頼が相次ぐようになった。

 「虐待をしている人たちもしんどい気持ちを抱え、『助けてほしい』と願っている。虐待された身だからこそ、そんな人たちの悩みを聞いてあげられる」

 すすり泣きが聞こえる会場で、島田さんは1時間半におよぶ講演を締めくくった。「人の心はやさしさ、愛でしか変えられません」

Res.2 by 無回答 from ビクトリア 2012/04/07 19:54:53

すごすぎ。
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