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No.20273
■「ママのことは言わないで」
by 無回答 from バンクーバー 2011/04/01 18:41:22

「ママのことは言わないで」


 大津波に襲われた宮城県名取市の避難所で暮らす、市立閖上小3年、宮下奈月ちゃん(9)は、最近しきりにノートに母親の久実さん(38)の絵を描く。久実さんは地震後、行方が分からない。きょうだいの中で一番ママっ子だった奈月ちゃん。絵には描くのに、ママの話は決してしない。

 奈月ちゃんの家は名取市の海岸沿いにあり、姉の奈々さん(12)、兄の直人さん(14)、母の久実さん、祖母のヨシ子さん(67)が家族。久実さんは5年前に離婚し、父はいない。

 津波に襲われたとき、閖上小3年の奈月ちゃんと6年の奈々さんは授業中。久実さんは警備会社で仕事をしていた。直人さんは中学校の卒業式を終えヨシ子さんと自宅に。家族5人は3カ所にばらばらにいたのだ。

 激しい揺れに襲われ、自宅にいたヨシ子さんは直人さんと近くの閖上中に走って避難。そのときに久実さんから携帯電話のメールが着信。「子供達は大丈夫? 私は大丈夫ですから、早く避難してよ!」。ヨシ子さんは「避難した。会社にいて。自宅には絶対戻ってはダメ」と返信した。

 津波の黒い波は、すぐに閖上中を襲い、校舎は2階までのみ込まれた。あわてて3階まで駆け上がり、助かった。11日は水が引かず、一晩をそこで明かした。

 12日になって、水が引いた閖上中を離れ、内陸寄りの館腰小へ移動。閖上小から移った奈々さんと、奈月ちゃんに会えた。あとは久実さんだけだった。ヨシ子さんは久実さんは会社で避難していると信じ込んでいた。「子供は全員無事」と伝えたくて会社に電話すると、「久実さんは地震直後に会社を出た」と告げられた。

 ヨシ子さんにメールを送った後、「娘2人がいる小学校に行く」と車で飛び出したらしい。会社から閖上小に向かう道はすべて水没している。

 ヨシ子さんはすぐに避難所を捜し始めた。市役所で避難者名簿を確認し、市内の救急病院すべてに問い合わせた。遺体安置所にも行った。久実さんと同じ年ごろの女性の身元不明遺体を震えながら確認したが、別人だった。車も見つからず手がかりは全くない。ヨシ子さんは「会社にいれば大丈夫だったのに。子供が心配で様子を見に行って波にのまれるなんて…」と声を詰まらせる。

 久実さんは離婚後、会社勤めをはじめ、毎朝、子供たちの食事を作ってから出勤、夜遅くまで警備会社で事務をした。「お金のことで不自由な思いはさせたくない」と毎日、忙しそうに働いていた。子供たちの希望どおり、奈月ちゃんを英語教室に通わせ、奈々さんにはピアノを習わせた。

 久実さんが行方不明と聞き、直人さんや奈々さんは声を上げて泣いた。「津波が憎い」とはっきり言葉に出して怒った。だが、奈月ちゃんは怒りも悲しみも見せない。「ママのことはあんまり言わないで」とぽつりと言った。

 奈月ちゃんは時々、ヨシ子さんの携帯電話を持って1人でどこかへ行く。ヨシ子さんが「何してたの?」とたずねても、奈月ちゃんは「内緒」とほほ笑む。

 久実さんが子供たちを思って残したメールを見ているのだろうか。ママに電話しているのだろうか…。 

Res.1 by 無回答 from カルガリー 2011/04/02 09:34:29

泣きました。
Res.2 by 無回答 from バンクーバー 2011/04/02 09:36:41

この女の子ですね。
ママの絵をかいているのは救援物資のノートだそうです。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110325/dst11032512490031-n1.htm
Res.3 by 無回答 from カルガリー 2011/04/02 14:36:01

この記事読んで号泣してしまいました。
Res.4 by 無回答 from バンクーバー 2011/04/02 16:25:39

なんという悲劇でしょう。

その一方で。。。

赤いランドセルを見つけた首相は、昨年末に「伊達直人」を名乗る人物が全国の児童施設にランドセルを送ったことを引き合いに「何とか直人がくれたのかと思った」と冗談も飛ばした。

Res.5 by 無回答 from 無回答 2011/04/02 18:04:19

ジャパンTVで見たのですが

2才くらいの男の子がお婆さんと思われる人の膝に抱かれて
「がんばったらパパもママも迎えに来るって言ったのに
ずっとがんばってるのに、どうして迎えに来てくれないの?」と泣いた。
お婆さんはひたすら「来るよ!がんばったら迎えに来るよ!」と言い聞かせていた。

たまらない。2才の子ががんばれることではない。
私たちはこれから何十年もかけて、この子達が成人するその先まで
こうした被災者を支援して行くものなんだと実感した。

Res.6 by カール横浜 from 日本 2011/04/03 08:02:43

産経新聞の夕刊でこの記事を見ました。
電車の中で読んでいましたが、
涙が出て来ました。この子の中でお母さんがいなくなることを、この子なりに理解しないようにしているさまが、
とてもやるせなく思います。
笑っていり写真がかわいい笑顔なのですが、お母さんに早く帰ってきてよとお母さんを呼びかける笑顔なんでしょうか?
本当につらいです。
この子の将来に多くの幸せがくることを祈ります。
Res.7 by 無回答 from バンクーバー 2011/04/04 07:45:06

奈月ちゃんは怒りも悲しみも見せない。

この点が気にかかります。
Res.8 by 無回答 from バンクーバー 2011/04/05 07:18:22

子供の心は元々傷つきやすいもので、今回のことがどのような傷になって残るのか考えるとかわいそうでなりません。

日赤への義援金700億も集まってるらしいですが、子供達の為にどのくらい使われるのか心配です。

政府が配分に関与すると言い出してるから。そんなことしたら、政治家のところに行くだけでしょう。
Res.9 by 無回答 from 無回答 2011/04/05 09:11:05

被災した子供たち、亡くなった人たちの分まで強く生きて欲しい。
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