RES25さんは、トピヌシさんですか?
どちらの方も、今が一番大変なだけです、後で笑う日がきますよ。だから前向きで、子供への愛情をたくさん注いで、今を乗り越えてくださいね。
離婚はきっと日本に住んでいても大変な事だったと思いますが、カナダだと不安が倍になりますよね。
でも日本より、世間体の当たりが無くて、また、いくつになっても仕事が出来る環境ということ、それと父親がちゃんと育児に協力して、養育費もしっかり確定させてしまえば、暮らしはそんなに大変ではないので、ポジティブにいてくださいね。
まず私が別居にさらされた時、一番苦しさと不安がありました。
そしてお友達に支えられ、また、旦那の家族にも支えられ、なんとか前向きに元旦那と、感情を入れずに、今後の事、話せる用になるまで、1年くらいかかりました。
その間は、元旦那の配慮で、彼の給料の70%をジョイントアカウントにいれてくれたので、結婚生活の時と同様の水準は保つことは出来ました。家は持ち家でしたので、すぐには売買の話に進める事もできず、彼の方が家を出てくれましたので、家探しの不安は私には無かったです。1年立つころ、私も旦那が居ない生活に慣れてきました。
醜い言い合いをする事もそのころにはぐっと減って、旦那ばかりを攻めていた自分の醜さが見えるようになりました。自分にもこの結婚生活の破局の原因があったことにも気が付きました。
そういう思いがお互いの争いを抑えたのだと思います。
なので、旦那だって、精一杯の事をしてくれているのに、私がそれに甘えっぱなしでは駄目だと考え、養育費以外はお金を頂かなくても、生活出来るように、自分の基盤をまず整えたいと思えるようになりました。
職探し中はデイケアの補助が出ますので、補助金のアプライ、してみてくださいね。そして、子供をまずデイケアに預けて、職探しを始めました。そのころは今より景気がよかったので、1ヶ月の職探しで内定を3件もらいました。(レジメ作りにまる1ヶ月以上かけましたが。。。)
旦那の家族や友人にインタビューの練習をしてもらい、悲劇のヒロインだった自分のお尻にムチを打った日から3ヶ月後には、入社日も決まり、働き始めました。自分のお金で生活が回るようになり、自信が付きました。子供の母親としても、だんだん自信が付いてきました。
仕事を始めても、旦那はお金を入れ続けてくれました。本当にありがたかったです。やはり子供まで苦労させられないからだとも思います。
自分の生活が安定してからは、暮らしていくのに必要なお金以外は入らないと考え、フルタイムからパートタイムに変えてもらい、仕事の量を半分に減らしました。その分、子供とたくさん遊んであげられる時間が出来るようになりました。自分にもますます余裕が出来ました。
ということで、別居から2年立つころ、子供の親権や、19歳までの共同育児のルール作り、家の財産分け、毎月の養育費などを、まるで他人事のように、感情を入れることなく、話せる事が出来るようになっていました。
弁護士を通して、お互い思いやりのあるアグリーメントを作ることができ、離婚が成立しました。
子供は週の7割は私と暮らして、3割パパと暮らしていく生活となりました。養育費も700ドルと決まりました。その他子供にかかる洋服や学校行事のお金、習い事は同じく7:3で分ける事も決まり、現在があります。
私のパターンは1例として受け止めてくださることを願い、アドバイスをさせていただきます。
まず、ご自分の自信をどんな形でもいいので取り戻してください。私の場合は、仕事が自分の自信に繋がり、生活を安定させてからは、離婚にさらされている自分の状況、ちっとも悲しいとも、寂しいとも思わなくなりましたので、仕事を見つける事がトピヌシさんも、RES25さんも、ひとつのステップになるかもしれないですね。
人間、権利を主張したり、欲を出すと、うまくいくものも行かなくなるものだと思います。
自分で何とかやっていこうとする姿が、旦那のまだ残っていた情を引いたのかもしれないですね(笑) まだお互い情があるうちに、いろいろな難しいこと、進めていくといいと思います。
自分の生活が安定するまでの1年くらい、子供には、保育園や学校で楽しく過ごしてもらい、その間お友達や先生からいろいろ学んだり、集団生活を学んでもらいましょう。「子供がかわいそう」という考えだけはしないでくださいね。お母さんが元気で生き生きしている事が一番うれしいのですから。そして父親のいい所をよく話してあげて、離婚しても、パパとママの距離が近い事を感じさせてあげてくださいね。
がんばってください。まずははじめの一歩、出来るといいですね。
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