No.31204
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慰安婦描いた映画『鬼郷』、米国・カナダ・英国で同時公開確定
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無回答 2016/03/11 00:12:23

旧日本軍慰安婦被害者を描いた映画『鬼郷』が韓国映画としては初めて米国とカナダ、英国で同時公開される。
『鬼郷』の配給会社「ワウピクチャーズ」は「今月11日、米国での劇場上映と並行して、韓国映画としては初めてアップルTVやアマゾンTV内のKORTVを通じて米国やカナダ、英国でデジタル上映される」と8日、明らかにした。
KORTVでの上映は既存のVOD(ビデオ・オン・デマンド)サービスとは違った形式で、劇場のように上映時間が決められている。ロサンゼルスやバンクーバー、ニューヨーク、トロント、ロンドンなどの主要地域で一日に5回上映される。
ワウピクチャーズ関係者は「『鬼郷』のさまざまな方式の海外配給販路開拓を通じて、国内だけでなく海外でも人権と平和の道具として使われることを願う」と伝えた。
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Res.1 |
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無回答 2016/03/11 00:20:11

SF・ファンタジー映画
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無回答 2016/03/11 01:37:19

こんなモノバンクーバーで上映されたらかなわん。
現地の人は嘘だとは知らないし。
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Res.3 |
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無回答 2016/03/11 02:06:46

韓国人ってのは、ファンタジーを広めるためには何でもやるんだね。もしくは、大多数が、ファンタジーとは思っていないか。。。
こういうロビー活動のために、英語力をつけようと、子ども達を留学させるのかしら?とも考える。
日本人は留学が減ってるらしいし、国際交渉の面で、益々弱くなって行くのだろうか?心配。
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Res.4 |
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無回答 2016/03/11 21:48:06

↑
ロビー活動でどうにでも出来るはずなのにやらない日本人がバカなだけでしょ。
本当にロビー活動だけで反日活動が出来るならね。
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Res.5 |
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バンクーバー 2016/03/11 21:56:32

私の父が生きていれば今年で98歳です。父が16歳の頃第2次大戦に徴集されて16才で戦争に行き3年後ぐらいに戦争は終わり、その1年後ぐらいに日本に帰ってきたそうです。今日TV Japanを見ていると慰安婦団体の生き残りと思われる人がパン国連事務総長と会談して宥めれていましたが、私の父や2歳下の母よりも10歳は若く見えた。日本との慰安婦ではなくて、朝鮮戦争かベトナム戦争の慰安婦だとしたら日本と関係ない。なんとずる賢い国の人だ。 父は戦争中の事も自分自身の記録としてとっていましたが大和魂を持って武士の信念で行動していました。慰安婦の事は1行も書いて無かった。
慰安婦の女性が居なかったとは言わないが生活をする糧として女性が軍隊について行く方が食い扶持に有りつけたのでは無いかと私は推測する。又軍隊などを利用して金儲けする朝鮮人や日本人が多少いても不思議ではないだろう。
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Res.6 |
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バンクーバー 2016/03/11 22:01:00

父が16歳の時10歳若い慰安婦なんて要るわけないだろ。6歳の子供が軍隊の行軍について行けるものか。 馬鹿にしている。。。。
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Res.7 |
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無回答 2016/03/12 03:08:24

「なんとずる賢い国の人だ。:とのことだけど、なんで?
「10歳若く見えた」っていう思い込みだけで、ずるいなんて言う方が、ずるくない?
因みに、お父さんの年齢、ありえないですよ。
嘘ついてませんかね?
16歳で出征、3年で終戦、そして1年で復員。
多少サバを読んだところで、終戦時は20才前後。
今年は2016年で、終戦の1945年から71年経ってます。
20才前後の人が71年後に98歳にはならないよ。
さて、ずるいのは誰でしょう?
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Res.8 |
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無回答
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無回答 2016/03/12 03:15:39

失敬、言葉が過ぎたかもしれないので、訂正。
>嘘ついてませんかね?
じゃなくて、
>創作物語じゃないですかね?
に訂正します。
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Res.9 |
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バンクーバー 2016/03/12 09:35:36

Res 5です。正直言うと私の手元には父の書いたノートは有りません。処分仕切れずに日本に有ります。あまりにも若い人が日本と関係した慰安婦だと言うので良く考えずに書き込みしました。
父のノートには兵隊さんに取られる年齢が多くの方で16歳と書いて有りました。そして毎日がビンタで始まりビンタで終わる訓練風景だった様です。そして為るべくビンタの数を少なくする為には教育勅語を1語1文も間違わずに朗読して文章に書ければ良いと心在る人に教えられたそうです。そして難しい漢字の文章を綺麗に男らしく書く練習空いている時間を利用して練習をした様です。私が言う事では無いのですが、父の字は最高に男らしくて繊細である。父の字に感じるのはバランスの良い日本語のかなと漢字の美。
私は父から1事も戦争の事を聞いた記憶はない。戦争の事や、その中でうごめく感情と性欲とやらを多少知る事に成ったのは中学生の半ば頃に偶々 床屋か風呂屋さんに於いて有った今は廃刊の月刊本を読んだ時だ。それが全部事実に元ずく物かどうかは今も判らずじまい。文章と言うものは売れる様に書く筈だ。その後4〜5冊違う印刷会社の戦争に関する本を読んだ。確か名前は宝石とか言う月刊本も有った。その後高校入試に没頭する様になり、高校入学の校門で勧誘されて剣道部に入れられた。可也の剣道の歴史を持つ学校だった。話をもどすが。。。
私の記憶は定かでないが地元の当時の師範学校の後、逓信省に勤め始めその後兵役の為に父は九州の訓練所で更なる技術的な訓練を受けた様だ。多分通信関係だと思う。そしてアジアのあちらこちらに飛行機で出ている。(通信の為のアンテナや機器の設置?) 父は昭和8年の時16歳とすると戦争が終わった後1年後に帰って来たから、13年間戦争に費やした。戦争の後期には性欲など考えている暇が有ったのだろうか。攻めるか逃げるかで必死だったのではないだろうか。
最終的な兵隊の位は伍長だそうだ。そしてノートを読んでつい最近迄当時の仲間で集まり、毎年旅行や靖国神社参りをしていたようだ。父は私に対しては無口だったが、国に対する忠誠心は誰よりも高いようだった。
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