jpcanada.comについて / 広告募集中 / jpcanada.com トップ

注意事項:当サイトのコンテンツをご利用いただく全ての方は、利用規約に同意したものとみなします。
このサイトの掲示板は情報交換やコミュニケーションが目的で設置されています。投稿内容の信憑性については、
各個人の責任においてご判断下さい。全ての投稿において、投稿者には法的な責任があることをご認識ください。
また、掲示板上で誹謗・中傷を受けた場合は、速やかにサイト管理者までご連絡をお願いいたします。→連絡先
フリー掲示板
この掲示板はノンジャンルです。あなたのささいな質問から
仲間内の自由なおしゃべりまで、ご自由にご利用下さい。
新規投稿される方は、こちらへ(アイコンの説明もあります)
No.29378
カナダに引っ越してから、国籍に対する意識が変わった?
by フリスク・チャド from Seattle 2014/11/25 17:42:59

5年間日本に住んでいる間に、僕の中の「アメリカ人」が変わりましたが、日本を離れている日本人はどうかな?

「直訳不可能」の最新記事です。「ただの日本人を越えよう」

僕が勝手に思っていることですが、国籍が人の足を引っ張るものです。「僕は何々人です」と誇りを持って言ってもいいでしょうけど、やっぱり国境が自分のアイデンティティーを定めてしまうと、もったいない。僕はアメリカに生まれたからパスポート上はアメリカ人だが、「ただのアメリカ人」を越えようとしています。世界が広いし、全ての知恵がアメリカ大陸に限られているわけではない。外の世界へ目を向けなければ損するわけだと思います。アメリカ人らしくしか行動しなければ、たくさんのチャンス、たくさんの感動を逃してしまいます。そもそも「アメリカ人らしく」という意味がよくわかりません。アメリカには色んな人がいるし、アメリカに生まれたからといって、一般のアメリカ人と同じような生活を送らなければならない理由がありません。



自分らしく生きよう。よく耳にする言葉ですが、一体どういう意味なんだろう。



自分なりの説をそれぞれの人が立てなければならないことだと思います。「自分」というのは、僕たちが思っている以上柔軟性を持つのです。思いがけない方向に伸びるし、「自分」だと思い込んでいたのが、実際「幻覚」だったと気づくこともある。



国籍は捨てるべきだとは言いません。伝統と民族と自分の生まれた国の過去、文化に価値があります。しかし、昔と違って、現在の人には移動ができるのです。生まれた場所で一生を過ごさなくてもいい。やっぱり「何々人」という称号の下に、僕たちには 「人間」という札が貼られています。味わえる物が一つの国の国境内に限定されない。



僕は日本が大好きです。それは言っておこう。しかし、日本にいる間に、残念なセリフを耳にすることもあった。「日本人だから英語の発音ができない」。「日本人だから外国人に話しかけられない」。「シャイな日本人だから「何々」が無理」。



僕には、納得がいかない話だ。日本人だからって、何?大事な遺伝子でも欠けているわけ?



違うでしょう。周りにできる人があまりいないから、日本人には「英語ができない」と思い込んでいるだけだ。「ただの日本人だから、私には無理です」と。



「ただの日本人」が幻覚です。越えよう。僕が手伝う。

http://chokuyakufukano.com

Res.1 by 外国人 from 日本 2014/11/28 03:40:22


Precisely!
you are right!


Res.2 by 無回答 from バンクーバー 2014/11/28 13:38:33

何事にも基礎となる土台がなければいけません。人間もそうです。もし国籍がその基礎に当たるなら、国籍は大切なものです。

基礎のない人間が何をどう真似してみようが外の世界に目を向けようが、無為な漂流に終わります。

自分が何人であっても、他の世界、他の価値観に触れること、学ぶこと、経験することは充分に可能です。「ただのアメリカ人」であっても、ステレオタイプのアメリカ人(そういうものがあるとしたら)でないことはいくらでも可能です。私は100%日本人ですし、それを捨てようと思いませんが、。「日本人だから英語の発音ができない」。「日本人だから外国人に話しかけられない」。「シャイな日本人だから「何々」が無理」などと思いません。

国籍と視野の広さや移住・移動は関係ありません。


Res.3 by フリスク・チャド from Seattle 2014/11/28 14:08:38

なるほど!僕の記事が「国籍を捨てよう」と主張しているように受け取られのですかね?もしそうだったら、僕の言い間違いです。自分の文化、歴史、生まれた場所などを捨てる必要は、おっしゃる通り、ないですね。そもそも、捨てることはできないです。パスポート持っているしね。

言いたかったのは、「国籍に縛られないようにしよう」ということでした。自分の中の基礎となるものがもし自分と周りの幸せを支えないようなものだったら、考え直す必要があると思います。アメリカ人で「アメリカはこうだ」と言って、違う意見を受け入れようとしない人がいます。「私はアメリカ人で、アメリカ人は絶対に何々をしない」と断言して心を閉ざす人。そもそもアメリカ人がたくさんいて、ある人の「アメリカ人の姿」に、ほかの人、国籍が同じアメリカでも、賛成しない場合もよくあります。

アメリカ人だからって、何も信じる義務がありません。自分で考えさせてもらいます。「ただのアメリカ人」というのは、周りの意見を絶対的に思って、自分で世界に問いかけようとしない人を指していたつもりです。

日本人で英語や他文化に関して、「でも日本人だから…」と思っている人はいらっしゃるかな?その思い出が好奇心をブロックしていれば、もったいないなと思って書きました。


意見を教えてくれてありがとうございました。誤解を招かないように、文章を頑張っていきます。
Res.4 by Tomomi from バンクーバー 2014/11/28 14:24:07

I agree with you. Whoever I met in here, I didn't ask about his or her country. We live in this present time not in the past. I think to know this parson's now and future is more important. If I were CIC officer, maybe I will check my friends background.
Res.5 by フリスク・チャド from Seattle 2014/11/28 15:03:47

Thanks for the comment, Tomomi! I think we can learn a lot of things from where we were born, but sometimes nationality gets in the way. I know some Americans who make fun of Canadians just because they have the idea that Americans are "supposed to" make fun of Canadians. I know other people who make fun of Americans because they don't like "America". I know other people who won't be friendly to someone just because they come from a different country. That's too bad! I like meeting real people, but worrying about nationality too much can make that difficult. In that case, you don't meet a real person; you meet your own ideas about other countries. They may or may not be true!
Res.6 by すてき! from 無回答 2014/11/28 15:33:42

すごくステキなアイデアだと思う!

I want to meet real people too!!
Fundamentally speaking, nationality is only an official concept, which actually means nothing to us, desho?

国籍ではなく、育った土地と文化、アイデンティティーを誇るとき、おたがいの尊重が生まれる。

チャドさんステキ!
Res.7 by 無回答 from バンクーバー 2014/11/28 21:43:00

なんか違和感を感じる。

相手の出身国を聞かない(聞くと過去に生きることになる)って凄く不自然。

そういう考えって自分がよほど「ある国」に対して先入観を持っていて、国名を聞いてしまうとその自分の先入観と思い込みで相手を判断してしまうからであって、そもそもそんな先入観を持っていなければ、相手がどこから来たかを知った上で、お互いの世界を共有したり広げていったり、さらに他の世界へ目を向けていったり、という人生の楽しみが広がるもののはず。

私はカナダに来てからいろんな国から来た人たちに出会えて、日本にいたときより視野が広がりました。かつて関心も興味もなかった国でも、知り合った人がその国の出身だと知ってからは、その国に対する関心も出てきて、いろんな国の習慣や文化に興味を持つようになりました。パーティーとか職場とか、誰かと知り合うと、すぐでなくても、ほぼ必ず出身国を聞きます。カナダで生まれた人であっても、ルーツの話になることはよくあります。出合った相手の方もほぼ必ずといっていいほど聞いてきますね。

自身の国への愛情と相手の出身国の文化や個性へのリスペクトがあれば、出身国を聞くことも聞かれることも相手を尊重する素敵な第一歩だと思います。

>国籍ではなく、育った土地と文化、アイデンティティーを誇るとき、おたがいの尊重が生まれる。

それがこのトピの趣旨ですか?なんだか、「国籍」と「偏狭な世界と価値観に縛られた人間」と、同一化しているじゃないですか?国籍は確かに何人かを示すものに過ぎません。だから国籍と「国籍に縛られるな」ということを一緒に説くと、なんだか違和感を感じます。
Res.8 by フリスク・チャド from シアトル 2014/11/28 23:14:41

説得力のある話ですね。僕が日本に住んでいた5年間の中で、たくさんの国の人に出会えた。違う文化、違う習慣、違う価値観に触れるのが(基本的に)とても良い経験だった。そして "Where are you from?" と聞くのが、言う通り、自然なことだった。お互いの出身地を知って初めて会話の土台が作れたとも言える。

人によっては、自分の生まれた国に対する思いが違う。例えば、とても仲のいいアイルランド人の二人がいて、彼らにとって国籍がすごく大事なんですよね。愛国心が強く、文化と歴史が彼らの中に大きいなものです。それを知ろうとしなければ、それほど親しくなれないと思います。彼らが大事にしていることを知りたいから、できるだけアイルランドの話を聞くようにしていた。僕のカナダ人の友達の多くも、自分の国を誇りに思い、国籍がアイデンティティーの大きな部分を占める。少なくともそのように思える。

いいことです。人と仲良くなりたければ、人の大事なものを尊重しなければならないのは確かです。僕にとって、国籍がそれほど大事なことではありません。アメリカに生まれたから、アメリカに生まれたで、自分の大事なものを違うところに探す。海外に行って、「アメリカ人です」と誇りげに言ったら、アメリカ人じゃない欧米の人にあまりいいように受け取られないのがその原因の一つかもしれない。わからない。

このトピックの趣旨については何とも言えないけれど、僕が書いた記事の趣旨は、他人の国籍に関係がありません。「他に優しく、自分に厳しく」というような言葉が確かにあるような気がするけど、この話にも当てはまるかなと思います。人の国籍は尊敬すればいい。その人にとって大事そうだったら、話を聞けばいい。問題ありません。僕が注意したいのは、「自分の国籍とそれに伴う先入観が自分の足を引っ張っていないか」ということですね。アメリカ人が持っているアメリカ人のイメージであろうが、日本人が持っている日本人のイメージであろうが。僕は英語を勉強している日本人をサポートしたい。自分の国に対する思いが英語学習に関わるので、記事を書きました。

とても考えさせてくれるコメント、ありがとうございました。勉強になります。
フリー掲示板トップ 新規投稿 jpcanada.com トップ
Supported by Spencer Network