Res 1さん
「国の法律の尊重していない」という点に反論があるかと思います。
国歌斉唱・国旗掲揚に関する法律は、1999年に施行された「国旗及び国歌に関する法律」がそれにあたると思います。
しかし、国歌斉唱・国旗掲揚を実質的に義務付けているのは文科省による通達です。同法律には国旗と国歌の内容が規定されているだけなので、公立学校での君が代斉唱・国旗掲揚が法的に義務付けられている訳ではありません。(私立は言うまでもなく)
従って、国歌斉唱時の起立・斉唱に反対した人は法律違反ではなく、文科省の自主裁量により決定した通達内容に従わなかった教員が、学校の指導に違反した、ということになります。
さて、ここで反対派の議論を援用しますと、起立・斉唱に反対している教員の多くは、国の法律を尊重していない訳ではなく、国旗が戦前の軍国主義に使われてきたという歴史的経緯(の解釈)により、強制というアイデアに反対しているのではないでしょうか?
反対派が起こしてきたこれまでの裁判を見ますと、法的根拠のない文科省の指導内容を強制する方がむしろ法律違反であり、憲法によって魚屋の親父に保障されているはずの思想・良心の自由が侵害された、と訴えているようです。
(ただ、かく言う私も魚屋のおやじと公立学校の先生とでは教育的立場が大分違うんじゃないかとは思いますが…)
Res 2さん
国を尊重する気持ちがあっても、国歌斉唱を強制することには反対する、という場合もあるのではないでしょうか?国の尊重イコール起立・国歌斉唱ではないと思います。
例えば、「私は国を愛しているし、日本が素晴らしい国になってほしいと思うから、国歌斉唱を強制するような国にはなってほしくない」というような考えの場合です。
またRes4さんが指摘しているように、国歌の内容に反対しているために起立・国家斉唱を拒否するような場合もあるかと思います。「国を尊重するために国歌をみんなと歌いたいが、天皇陛下を称賛するような歌は、民主国家の理念にはそぐわないと考えるため、君が代は歌いたくない」という場合です。
例えば、女王陛下万歳を歌った英連邦の国にも、そういう立場を取って国歌の内容に反対している人がいると聞きますし、イギリスやオーストラリアでは国旗を変えるべきだ、という議論が近年見られます。
愛国心にはいろんな形があっていい、という考えに基づくならば、このような考え方にはどう思われますか?
Res 3さん
義務教育では社会的マナーを学ぶ場であり、国家に敬意を払う、というのは他人に敬意を払うのと同じくらい重要な教育事項と考えられるから、まだ価値観を確立していない子供に対しては教育の一環として起立・斉唱を指導していくべきだ、という議論だと思います。とても説得力がありました。
しかし、他人に対して敬意を払うべきという考えや、暴力で物事を解決すべきでない、などの教訓は、おおよそどの国・場所でもある普遍的なマナーだと考えられるのに対して、愛国心はマナーなのでしょうか?普遍的と呼ぶには歴史が浅いですし、愛国心とはむしろ、自然と身に着くのを期待すべきものであり、強制すべきではない、と反対派は言うのではないでしょうか?
また、「何も知らない子供たちに、自分たちの思想を刷り込んでしまうような行動を、教員はとるべきではない」と書かれていますが、ではなおさら、「起立・国歌斉唱という行為に対して疑問を挟むな」といった偏った愛国心を刷り込むべきではない、という議論も成り立つような気がします。反対派の中には、「愛国心の強制こそ思想の刷り込みだ」と息巻く人が少なからずいます。
Res 4さん
確かに国歌の内容に反対する、という議論は多く見られます。ただ、これはあくまで推測にすぎませんが、国歌斉唱・規律指導に反対する人の多くは、例え国歌の内容が変わったとしても、何かと理由を挙げて反対する気がします。
上で述べていることと矛盾しますが、(必ずしも私は反対派ではないので)国歌・国旗の内容を変えたところで、強制すべきかどうかという点でやはり対立軸は残ると思います。